2012年03月06日
2012年3月上旬の風景と、”守破離”についての雑感
3月上旬の、雨上がりの朝。
最近、いろいろ考えてしまう事。
一言で言うと、”守破離”の難しさ。
「守」 教えや型を守り、自分の身につけること。
「破」 習うことによって身に付けたものを、自分自身にあうように、
また別のものをも取り入れつつ、自分らしくアレンジして変化させること。
「離」 教わって身につけたものも、自分自身の自我も、別にとりいれたものも、すべてが
自然体の中、無の境地になって、またさらに新しいものを身につける段階にいたること。
なんとなく、”何かを学んで身につける事”を私なりにそんなふうに理解しているのだけれど、習い学んで、ある程度できるようになったら、自分なりにアレンジする段階まではそれなりに継続して努力することで出来るし、楽しみながら進めて行くことも出来るのだけれど、そこから次の段階に進むのがすごく難しいような気がします。
いろいろ取りこんで、消化しきれていないまま貯め込んできたものを整理して、余分なものを捨て、そぎ落としていった結果、大切なものだけを残すという過程で、何をそぎ落とし、何を残せばいいのだろうか...という判断に悩む事自体が、”無の境地”にはまだまだ程遠いんだろうなぁ・・・と、思う。
そんなことをぼんやり考えながら、雨上がりの花壇を見ていたら、今年は蕾がついていないと思い込んでいたクリスマスローズが、いつのまにか蕾をつけて花が咲いていた。
あれこれ悩んで、ジタバタもがいて、ふと気がつくと自然の力に癒されて...ということを繰り返していることは、ある意味、自然に対する”他力本願”な部分があって、その度に自分の未熟さを思い知るのだけれど、その反面、自分自身を過信できないことは、気がつかないうちに自分の視野を狭める危険を防いでいるのではないかなと、どこかで安心しているような気もします。
自己弁護とか、慰めみたいなものなんですけれど...。
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