2012年06月30日
6月最終日の風景 2012
今日は、6月最終日。お昼前頃から、雨が降り出しました。
ディスタント・ドラムスが、きれいに咲いています。
今朝の、トマトの実。
いつもデッキの中に置いているバジルの鉢にも、自然の雨のシャワーを浴びさせています。
睡蓮鉢の金魚。あいかわらず、エサを食べるときだけ、アップで写真撮影させてくれます。
よく金魚を観察してみると、お腹の両サイドの部分にうすく擦り傷が残っているので、先日、台風の大雨で睡蓮鉢から飛び出して、コンクリートの地面を流されていた時か、雨水桝の小さな穴から落ちこんだ時のものだと思われます。
2年前の夏のイベント会場で「金魚掬いは、金魚救いだとも言うよ。」と娘が参加して我家にやってきたこの子は、その後、2度の冬を睡蓮鉢の中で年越しし、もうすぐ3度目の夏をむかえます。
”やっぱり、とことん、たくましい。”と、思います。
2010年8月16日に、
我家にやってきたばかりの頃の
睡蓮鉢で泳ぐ金魚の写真。
この2年で、本当に大きくなりました。
2011年春までの睡蓮鉢と金魚の風景。
ディスタント・ドラムスが、きれいに咲いています。
今朝の、トマトの実。
いつもデッキの中に置いているバジルの鉢にも、自然の雨のシャワーを浴びさせています。
睡蓮鉢の金魚。あいかわらず、エサを食べるときだけ、アップで写真撮影させてくれます。
よく金魚を観察してみると、お腹の両サイドの部分にうすく擦り傷が残っているので、先日、台風の大雨で睡蓮鉢から飛び出して、コンクリートの地面を流されていた時か、雨水桝の小さな穴から落ちこんだ時のものだと思われます。
2年前の夏のイベント会場で「金魚掬いは、金魚救いだとも言うよ。」と娘が参加して我家にやってきたこの子は、その後、2度の冬を睡蓮鉢の中で年越しし、もうすぐ3度目の夏をむかえます。
”やっぱり、とことん、たくましい。”と、思います。
2010年8月16日に、
我家にやってきたばかりの頃の
睡蓮鉢で泳ぐ金魚の写真。
この2年で、本当に大きくなりました。
2011年春までの睡蓮鉢と金魚の風景。
2012年06月30日
高砂散策 -2 (6/25:高砂海浜公園)
高砂海浜公園散策の風景。
ずっと昔から、海辺で潮の香りにつつまれて、波の音を聞くのが好きでした。
何も考えずに、ぼぉ~っとしているようでいて、実は心の奥深いところで、日常の生活の中ではとりあえず置き去りにしたままごまかしている大切な”何か”にきちんとむきあって、ぼんやりとながらも、自分自身が納得のいく答えを見つけようとしているような、そんな不思議な感じが心地よい時間。
そんな時間を過ごした風景に私があわせたいと思う音楽は、あくまで私の心が求める音楽であって、当然、その時々の個人的な気持ちが投影されているものだろうし、私の記憶の引き出しの中にしまいこまれている数々の好きな音楽たちから選ばれてくるもののため、他の人にもしっくりくるものかどうかは、わからない。
でも、そんな限界を理解しつつも、それでも自分自身の気持ちに一番しっくりくる音楽が浮かんでくるとほっとする。
心の奥深いところで考え探し続けている”何か”に対する解答も、同じようなものなのかもしれない。
そんなことを思いながら、高砂海浜公園のこの日の風景を編集してみました。
("SEEMS LIKE A LONG TIME" T.Anderson 「いにしえ坂/長谷川きよし」より)
シンプルで、力強くて、なんだか励まされるような、そんな気がします。
<高砂海浜公園の所在地>
Posted by Dreamer at
06:14
│お出かけ (東播磨)