2014年09月11日

「もっとソバ屋で憩う -きっと満足123店-」より



「もっとソバ屋で憩う -きっと満足123店-」
杉浦日向子とソ連 編著 (新潮文庫)より
 平成14年11月 1日 発行
平成17年 9月 5日 四刷




憩いの達人 (ソバ屋をディープに)

「ソバ屋で、もっと上手に憩いたい。」

「決めては、なんといってもTPOに合わせた店の選択にかかる。

赤ちゃん連れなら、隣席との間隔が充分にある畳座敷が望ましい。もちろん空いた時間帯を選ぶのがよい。
五人以上の大家族なら、キャパシティの大きな店か、予約が出来れば安心だ。
会合や宴会なら衝立で席を仕切れるところか、個室のある店を頼みたい。

ソバ屋は、カウンター数席の店から、披露宴二次会OKの店まで幅広くあり、人数用途に応じて細やかな使い分けができる。」

「あとひとつ、忘れてはならないのが、一見客として店を訪れるときのマナー。

町なかのソバ屋の大半は、家族経営の小さな店である。そこは、ご近所のオアシスであり、常連さんの来る時間、座る席、頼むメニューも決まっている場合が少なくない。一見客はとにかく、遠慮と謹み。ふだん発揮したことのない謙虚さを心掛けよう。それが窮屈なら、とっととどこかの常連になればいい。」

「職場か自宅の周辺あるいは沿線(乗換駅等)。馴染みの地域に絞り込んで、確実に通える店を探す。足しげく通ってこそ解るよさの方が、最初の一口の衝撃に数倍も勝るとわかる。憩いは、そこからはじまる。

つまるところ、憩いとは、与えられるものではなく、時間をかけて共に醸し出すものなのだ。」

「多くを知るより、深くを知れ。」




ソバ屋の客のたしなみ

「心如水。こころみずのごとし。」

「ソバ屋でよりよく憩うための極意は、この心如水にある。万物に恩恵を与える水は、丸三角四角どんな器にも応変に添う。」

「その日の気分にふさわしい店はきっとある。定番も冒険も、望みのまま。ただし、冒険の後に文句をいうときは、再訪する場合が鉄則。金輪際さようならなら、グチなしでさらり別れよう。」

「憩うとは、結局、シンクロナイズである。ソバ屋は、個々のバイオリズムにぴったり対応できるほど、充分な数があり多彩だ。」


(杉浦日向子)




私の心に響く言葉の数々が、この本本の中にありました。



<「ソバ屋で憩う」関連過去ログ>
・「ソバ屋で憩う -悦楽の名店ガイド101-」より (2014.9.11
・”憩う”という目標 (2014.9.8



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Posted by Dreamer at 21:17本の話

2014年09月11日

「ソバ屋で憩う -悦楽の名店ガイド101-」より



「ソバ屋で憩う -悦楽の名店ガイド101-」
杉浦日向子とソ連 編著 (新潮文庫)より
平成11年11月 1日 発行
 平成11年12月15日 四刷




この本に出会ったのは、「おいしいお蕎麦が食べたいな..。」となにげなくお蕎麦屋さんをネット検索していた時に、ソバ好きでいろんなお店を訪れておられる方のブログに出会い、その中で著者である杉浦日向子さんの言葉が紹介されていたからでした。


「グルメ本ではありません。おとなの憩いを提案する本です。」
「最近、ほっと安らいだのは、いつ、どこでですか。会社と家庭以外で、自分の時間を実感したのは、いつ、どこでですか。頑張らない、背伸びをしない、等身大の自分に還れたのは、いつ、どこでですか。そんな居場所を、日常のなかに持っていますか。」
「ふだんのなかに、もっと憩いを。(中略)ラクーになれます。食欲ではない、楽欲が満たされます。」

-まえがき― (杉浦日向子) より


”お蕎麦屋さんに限らず、私が『おそとランチレストラン』や『音楽音符』に求めている気持ちが、とてもすっきりと、うまく表現されている言葉だな...。”と、思いました。
そして、すぐに図書館にこの本本の予約を入れたのでした。



「『ソバ大好きなんですよー』という人には2種類あります。
 うまいソバのためには、いかなる悪条件をも乗り越えて、ひたすら邁進する求道者型。又は、食後に、湯上りのようなリラクゼーションを堪能する悦楽主義者型。
 つまり、前者が『ソバ好き』、後者が『ソバ屋好き』となります。
 私は、まごうことなく後者です。」
 「親戚でも友人でもない、ひとがひとをもてなす。しかも、それは、ハレの場ではなく、ケの場で、毎日、同じように繰り返される営みとして、すぐそこにあるのです。」

-あとがき― (杉浦日向子) より


私にとっての、『おそとランチ』や『音楽』もまた、求道者型とは程遠い悦楽主義者型だと思います。『湯上りのようなリラクゼーションを堪能する悦楽主義型』って、すごくうまい表現だな...と、思いました。

そして、基本的に私が惹かれるおそとランチは、『ハレ(非日常)の場ではなく、ケ(日常)の場で、毎日、同じように繰り返される営みとして、すぐそこにあるもの』でありながらも、『そこに込められた作り手の想いが深いもの』であるがゆえに、家庭では主婦として作り手側にある私自身のおうちごはんにむかう気持ちに、いい刺激を与えてくださるものなのだろうと思うのです。



<「ソバ屋で憩う」関連過去ログ>
・”憩う”という目標 (2014.9.8

  


Posted by Dreamer at 07:42本の話