2014年11月21日

おうちランチ&お茶会での雑感 2014.11

娘が同窓会で帰省する前に、ママ友のKさんと「私たちも、ひさしぶりにゆっくり話をしたいね。」と言いながらも、お互いのスケジュールがあわず、電話もすれ違いが何度か続き、一昨日、ようやくおうちランチレストラン&お茶会コーヒー

 



朝、晴れていた晴れし、天気予報も晴れ、アメダスでも雨雲はなかったので、私は朝からふとんを干していたし、Kさんも自宅に干してきたという。

なのに、彼女が我家に到着した時の空には、なぜか、黒い雲くもりがあって、以前のジンクス(私たちが一緒にランチに出かけると、天候が急に悪くなる...。タラーッ)を思い出させました。(2012.4/175/29

「最近会った時(5/22)は大丈夫だったし、きっと今日も大丈夫でしょう。アセアセ」と2人で自分たちに言い聞かせながら、スタートしたおうちランチ&お茶会でした。

結局、積もる話が長引いて、夕方薄暗くなり始めてお互いに「おふとん、取り入れなきゃ!」と焦ってお開きになるまで、なんとか天気は持ちました。キョロキョロ


 




子供たちが小学生、中学生、高校、そして大学を卒業して娘は就職して関東へ行き、理系のMちゃんも来春大学院を卒業して就職とのこと。

その時々に、母親として、いろいろ情報交換したり、相談したり、励ましあったりして、そして、現在に至ります。


共通の友人・知人も、みんなそれぞれ。

親の介護とか、子供が結婚して孫の子育てフォローとか、自分自身の健康とか、みんな同じように避けては通れない課題をかかえてがんばっていて、会話の内容が昔と違っていても、そんなふうに話をするだけで、昔と変わらずいろいろ勉強になったり、励まされたりします。


そして、それぞれの人によって環境も状況も違うし、「常識」とされることも違うけれど、私たちの親世代が持つ昔の「常識」と現在の「常識」とが違うことについても難しい深い問題がある。と、感じます。

一方的な視点から見れば「常識がない。」と言われるようなことでも、結局、視点を変えればお互いさまで、「共通の常識を持っていない。」ということに過ぎないことから話を始めないといけないということを理解できるかどうかが重要で、でも、いざ相手との認識の違いに直面した時に、常に冷静に対処できるほど人徳がある人は少なくて、みんなそれぞれ頑固な面や意固地なところを持っていたりもする。
(もちろん、それは、私自身の胸に手を当てて考えてみても、反省することが多いとも、思います。)


誰かとコミュニケーションを取る際に、「一緒に話をしませんか?」というよりも「一緒にお茶コーヒーでも飲みませんか?」と誘ったり、もっと込み入った話をするとか、ゆっくりする時を共に過ごしたいとかいう目的で「一緒に食事レストランをしませんか?」と誘ったりするのは、そんなくつろいだ時間を共有することで、お互いの持つ「常識」や、「認識の違い」が歩み寄れる範囲内にあるのか等を、さりげなく確認しあいながら、「共通の常識」を模索しようとしているのかもしれません。


社会人として仕事をするうえでは、共通の常識を持っていない相手に対して自分がかなり譲歩して対応しなければならない場面があるし、その中から学ぶべきこともたくさんあるけれど、プライベートにおいては、どちらかだけが我慢して譲歩し続けると長続きしないから、お互いに歩み寄れる関係であるのか...とか、そのために必要なコミュニケーションが円滑に進められるのか...ということが大切なのだろうと、思っています。

そして、それは今後の大きな課題である親世代の介護とか、子供の家庭に対するフォローなどの身内に対する付き合い方にも重要なことなのだろうなぁ...と、思うのです。



  


Posted by Dreamer at 07:57日常の雑感My Garden