2016年01月06日

年末年始の雑感 2016

年末年始休暇が過ぎて、2016年の日常生活が、穏やかにスタートしました。


思えば、先月下旬には、娘は「今回の年末年始はスケジュールがいろいろあるから、帰省しない。」と言っていたし、息子も「どっちみち、新年会はこっちだし、その準備で年末にも頻繁に来るんだから、家に帰ってもあまり意味がない。」と言っていたので、母の立場として、あれこれ複雑な想いを綴っていました。

年始のUSJ行きを決めたのも、”子供たちが帰ってこないのなら、お正月3日目に思い切って遊びに行ってもいいかな”という思いがありました。

そして、逆の子供の立場としては、”たとえ私の実家に泊まることが出来なくても、その日はホテルに泊まって、翌日、住吉大社への初詣のついでに、実家に新年のご挨拶をするために立ち寄ろう、長居出来なくても、顔を見せるだけでもいいから、そうしよう。”という思いがありました。



結果として、息子は年末に高校時代の友人が帰省してきて地元で会うということで我家に戻ってきましたし、娘は元旦にサプライズで日帰り帰省をして主人の実家の新年会に顔を見せてくれました。

私の実家にも、新年のご挨拶をして、たとえいろいろあっても、強がりであっても、なんとか元気そうな両親の顔を見るだけで、やはり、安心できた気がします。


たとえ「家族」でも、「親子」でも、”心の距離感”って大切なんだろうな...と、思います。

その、”適度な距離感”があるからこそ、相手に自分の主観とか価値観とか重苦しいまでの想いを押し付けることなく、お互いに負担に思わないですむ関係を維持していけるのかもしれないな...と、思います。



USJの「天使がくれた奇跡Ⅲ~The Voice of an Angel~

もっと早くに特別鑑賞エリアの入場チケットを手配していれば、ステージ上で演じられていたショーを正面から見ることができたのでしょう。


でも、”子供たちが帰省して来たら”という前提で年末年始のスケジュールを考えている間は、そんな時期にUSJに出かけていくなんて発想は、私には絶対にできませんでした。

”子供たちが帰省しないのなら、思いきって出かけて行ってもいいかな。”と思えるような「自由」は、どこかに、「子育てから解放されたさびしさ」をも、伴っていました。

そして、親の立場からの「子離れのさびしさ」は、その反面、「子供たちが親離れして、自立していっているという親としての安心感」でもあるのだと、思います。



何事も、正面から見た視点だけがすべてではなく。

斜めから、後ろから、上から、下から、さまざまな方向から見てみると、いろいろ違うものが見えてくるものだと。

むしろ、自分自身のことは、鏡を見ないと自分では見えないから。

いつも”天空にある心の鏡”を意識して、そこに映った自分自身の姿を見るように、心がけないといけないんだろうな...と、思います。


それは、たぶん、フィギュアスケートの羽生選手の今期の活躍から、「クリスマスの日の雑感」で綴っていたような、”うまくいかない時でも、原因を外に求めたり、問題から目をそらして逃げようとしたりするのではなく、冷静に内観できるような、そして、いいことが続いている時には、周囲への感謝の心を忘れずに、さらに自分の目標を見直していけるような、心身の強さ”にも、通じているのかもしれないとも、思うのです。





『 真の発見の旅とは、

  新しい景色を探すことではない。

  新しい目で見ることなのだ。


  ― マルセル・プルースト ― 』





  


Posted by Dreamer at 08:01日常の雑感