2012年03月08日

たいせつなもの

我家の花の風景、いろいろ...。

たいせつなもの


「この寄せ植えを見る時、おかあさんはただのミニバラの花とユーカリの葉を見ているのではなくて、その背景にある、これを作ったイベントに参加した日その後のリフォームの日の思い出も観ています。」

「英単語のseeには、”見る”っていう意味だけじゃなくて、”理解する”って意味もあるんだって。」


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たいせつなもの たいせつなもの


そして、このクリスマス・ローズは今は引っ越しされたOさんにいただいた苗なので、この花の姿には、まだお隣にいらした頃に一緒にガーデニングしながらおしゃべりした日々の思い出が映し出されているような気がします。


たいせつなもの
  去年の夏、家族旅行で和歌山へ出かけた時に、
  熊野速玉大社で買ってきた、ご神木のなぎの小苗
  この小さな苗にも、南紀家族旅行の数々の思い出が
  こもっています。





  
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1995年阪神大震災の後、当時娘が通っていた幼稚園も被害を受け、長いお休みを経てようやく再開した時の送迎時に、お友達のおかあさんと話した会話で今も印象に残っている言葉。

”地震で趣味で集めていた(たしか、バカラ?だったと思う)グラスとか大切な食器がほとんど割れてしまって、すごくショックだったけど、もう、それからは、そういうものはどうでもいいや...と思うようになった。”

そういえば、うちの主人も自分の趣味のオーディオセットが散乱してしまった部屋を見て茫然としていたけれど、とにかく、それからしばらくは、毎日の生活の中で必要な水の確保とか、交通網すら混乱している中でどうやって職場にたどり着くのかとか、そういう目先の細々としたことに対応するのに追われて、オーディオの復旧に取り組めたのはかなり後になってからでした。

そして私はと言えば、あの明け方の大きな揺れの中で、まだ赤ん坊だった息子をかばうようにして、いったい何が起こっているのか、よくわからないままじっとしていて、揺れがいったんおさまった後、気がつくと家じゅうの家具やいろいろなものが散乱している状況の中でもまだ、”今日は娘を病院に連れて行く予定が入っているから、朝ごはんは食べさせず、水分もひかえめにしてくださいと言われていたっけ・・・。”ということを、まず真っ先に考えていたような記憶があります。

私にも、私なりに大切なモノやこだわりのモノがあるつもりだったけれど、極限状態の中ではそういうモノってある意味どうでもよくなって、むしろ、ふだんなにげなく過ごしている生活の中で無意識の中であたりまえに思っているものこそが、実はとても大切なものなんだと、身にしみた日々でした。

それでも、いろいろなことが落ち着いてくると、やはり自分の好きなこと、大切なモノにこだわっていたり、それらに癒されている私がいて、やはり、そういうモノたちも私にとって”たいせつなもの”なんだと思ってしまう。


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たいせつなものラスト・サムライの映画のラストシーンに近い部分で、
トム・クルーズが演じたオールグレン大尉が、明治天皇に
”(渡辺謙が演じた)勝元の最期を語るより、
 どう生きたのかを伝えたい。”
というようなセリフがあったけれど、
たしかに、その人の本質は”毎日の日々を、どう生きているのか”に現れているような気がする。

そして、勝元が遺したモノとして、天皇に”勝元の遺刀”が献上されていました。

”どんなふうに日々を生きて、後に何を残すのか。”

何かひっかかりがあって、私がずっと気になっているのは、なんとなく、そういうことに近いようです。


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たいせつなもの たいせつなもの


去年、衝動買いした紅色馬酔木↑を見ている私の頭の中では、さだまさしの歌う”まほろば”が流れていて、その歌の背景にうかぶ昔の思い出の数々の映像が認識されています。


実際に私が見ているのは”紅色馬酔木”なのだけれど、他人から見ればそれ以外のなにものでもないのだけれど、私自身が観ていると認識しているのは、”その背景にある思い出の映像”でもあるという事実があって、そういった思い出の記憶を伴ってくれる存在としてこの馬酔木の苗がある。

高価な宝石とか、ブランドの洋服とか、普遍的な価値があるものだけが本当に大切なモノなのかといえば、それだけではなくて、そのモノの背景にどんな思いがこめられているのかによって、人それぞれ、”たいせつなもの”は違う。

人間として生きていく中で、何かを手に入れて後に遺すということは、ただモノを遺すだけじゃなく、その背景にある思いごと遺したいと思っても、自分以外の人間には表面的な価値しか、なかなか理解してもらえないものだから。

記録を残すという作業には、モノに関する”思いについての解説”を残すという意味があるのかもしれないと、思う。

※ちなみに、”まほろば”の歌詞中にある「宛名のない手紙」について、昔はまったく連想するすべもなかったことなのですが、ふと、こういうネットに綴るブログ記事もまた「宛名のない手紙」なのかもしれない...と、気がついた。

 もし、昔一緒に奈良散策をしていた大学時代の友人がこの記事を見たら、その時の思い出に寄せる私から彼女へのメッセージだと思うかもしれないし、高校時代の軽音楽部関係でさだまさしの音楽を共に聴いていた人達がこの記事を見たら、私がイメージとして観ている思い出は軽音楽部関連ギターのものだと思うだろう。
 そして、もしかしたら、私がカラオケで「まほろば」を歌う時カラオケ、”この歌にはおかあさんの思い出がいろいろ詰まっているんだな...”とか、”小さな馬酔木の苗を見ている時には、そんな思い出にひたっているんだな..”と、どこかでわかってもらいたいという、私から子供達に対するメッセージなのかもしれないし、不特定多数のここを見てくださっている方々へむけて、小さな植木鉢の馬酔木の苗にもいろいろな思いがこもっていて、そこにはさだまさしの”まほろば”という名曲がすごく大きなインパクトを与えているんですと伝えたいというメッセージなのかもしれない。

 ”なるほどなぁ…。”と、思った。



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自分自身の頭の中で混沌としているものを整理するため、先日の雑感の続きとして、とりあえず。



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昨夜、半分うとうとzzzしながら観ていてテレビ、肝心のシーンのほとんどの記憶がない状態だったため、念のため録画しておいたなでしこジャパンのアルガルベ杯 ドイツ戦を、今日、最初から見なおした。

澤選手が出場しない試合であっても、自称“スピルバーグ・ノリオ”監督の戦略を観るのが、おもしろいのかもしれない。

次は、今月末の世界フィギュアスケート選手権2012が楽しみです。赤面




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Posted by Dreamer at 15:19 │My Garden