2012年08月07日
8月上旬の風景 2012 ~世代交代と役割についての雑感~
「あのね、あのね...。ナイショなんだけど、おかぁさんはオリンピックのLIVEを観ながらいろんなことに感動して、夜中にひとりで泣いてたり、お昼のワイドショーの映像を観ては涙ぐんでたり、してるんだよ。」
という、バラの蕾と花の内緒話をすぐそばで聞いていた、もう1輪のバラの花はひそかに思うのでした。
”うちのおかぁさんは昔から涙もろかったけど、年をとってますます、涙腺がゆるくなって(…)きただけなのさ...。”
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今回のオリンピックを観ていると、よく、「世代交代」という言葉を聞くような気がします。
実績を積み重ねてきたベテランの選手には、もちろんみんなが期待を寄せるのだけれど、どんな名選手であってもその実績をつかみとった経験と同様の年月があって、その期間に失われた若さがある。
そして、その選手の過去の活躍に憧れて、その背中を追って同じ道を進んできた若い選手が育っていて、日本代表として共にオリンピックの地にのぞみ、同じ目標にむかって共に闘っている。
競泳男子200メートル平泳ぎ決勝で4位に終わった北島選手が「(立石)諒が(銅メダルを)とってくれたので、悔いはないです。」と言ったというセリフは、”2大会連続金メダルという偉大な実績を残した先輩として、カッコいいなぁ...。”と思っていたら、競泳400メートルメドレーリレーで銀メダルをとった後、「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないと、みんなで(北島選手に)内緒で話していた。」と松田選手が打ち明けたセリフもかっこいいなぁと、思った。
ベテランの役割と、若手の役割。
それぞれが自分の役割をきちんと果たした時、その力が集まると、やっぱりすごいなぁ...と思えるのは他の種目も同じで、日本の団体戦でのメダル取得の結果に、出ていると思う。
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体操の個人総合で金メダルをとった内村選手のお母さんが祈るような表情で彼の演技を見つめていた様子とか、花束を受け取ってとてもうれしそうだった笑顔等から、”母の思い”が伝わってくるような気がしたり。
ワールドカップに引き続き、奮闘しているなでしこジャパンの活躍に、ハラハラドキドキしてひきつけられたり。
たくさんのドラマがオリンピック中継の映像の中にあふれているので、深夜のLIVE放送はあきらめたつもりでも、暑さでいったん目が覚めて、水分補給にLDKに降りてくると、ついテレビをつけてしまう日々が続いています。
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立秋の日の今日もあいかわらず真夏日だと思っていたら、お昼過ぎにほんの少しの間、激しい雨が降りました。
急いで自宅の窓を閉めまわって、”午後の水やりは、やらなくてもいいな...。”と安心していたら、しばらくたつと、また晴れてきました。
午後、塾の合宿に行っていた息子が山のような洗濯物を持って帰宅した頃には、強い日差しがまた照りつけています。
”午後から干したたくさんの洗濯物が、日暮れまでには乾いてくれるかも。”と思うと、花壇に自然の雨の恵みを与えてくれたひとときの大雨も、その後の天候の回復も、すべてが”良かったなぁ...。ありがたいなぁ...。”と、思えます。
どんなことでも、どういう視点でとらえるのかということで、大きく違ってくるものだから。
私もまた、その時々で私にできる役割をきちんと全うできるよう、努力していきたいと願っています。
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先日、デジカメをニコンプラザに預けることになってしまったので、昨日から、年代物のオリンパスのデジタルカメラを復活させて撮影しています。
ずいぶんひさしぶりなので、シャッターを押す感覚も違うし、使い方もすっかり忘れてしまっていて、手探り状態で撮影しているのですが...。
”もうすぐお盆だし、レトロなものをまた復活させるのも、いいのかもしれないな...。”って。
母方の祖母が好きだった山の家の花たちを、弟がこのカメラで撮影して写真をあげたら、祖母がとても喜んでいたという。
今は、祖母も、弟もいないけれど、カメラはこうして残っていて、今もなお、そこにあるものを映し出すことができる。
そして、”何をそのレンズをとおしてとらえるのか”とか、”そこにあるものを美しく撮影できるのかどうか”は、カメラというモノの問題以上に、撮影する人の感性とか、感覚とか、技術とかにかかっているとも思うから。
なにげない毎日の日常にある風景を、たんたんとデジカメで撮影して残していくという行為は、ある意味で、私の”視点”とか、”生き様”を記録しているようなものかもしれないな...と、思います。
先日、デジカメをニコンプラザに預けることになってしまったので、昨日から、年代物のオリンパスのデジタルカメラを復活させて撮影しています。
ずいぶんひさしぶりなので、シャッターを押す感覚も違うし、使い方もすっかり忘れてしまっていて、手探り状態で撮影しているのですが...。
”もうすぐお盆だし、レトロなものをまた復活させるのも、いいのかもしれないな...。”って。
母方の祖母が好きだった山の家の花たちを、弟がこのカメラで撮影して写真をあげたら、祖母がとても喜んでいたという。
今は、祖母も、弟もいないけれど、カメラはこうして残っていて、今もなお、そこにあるものを映し出すことができる。
そして、”何をそのレンズをとおしてとらえるのか”とか、”そこにあるものを美しく撮影できるのかどうか”は、カメラというモノの問題以上に、撮影する人の感性とか、感覚とか、技術とかにかかっているとも思うから。
なにげない毎日の日常にある風景を、たんたんとデジカメで撮影して残していくという行為は、ある意味で、私の”視点”とか、”生き様”を記録しているようなものかもしれないな...と、思います。
Posted by Dreamer at 16:55
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