2014年04月23日

”守破離”についての雑感

昔、独身時代の習い事の関係で、”守破離”という言葉に出会いました。

その後、いろいろな書物で、場面で、その言葉に遭遇し、自分なりにずっと、”守破離”について考えつづけてきました。



”守破離”

”親の元で守られ庇護されてきた、子供時代”

”そんな親にすら、自分自身の自我が目覚めて反発する部分が増えていく、思春期の時代”

”そして、お手本であった親の元を離れ、なおかつ親の支配下に置かれることに反抗していた自我の葛藤からも離れ、自分自身にむきあって研鑽する域に入る時代”

そんなふうにも、思えます。



”習う事は、真似る”こと。

でも、”子供は、けっして親のコピー(複製)ではないし、子育てしていく過程において親の後姿を見て育っているうちに無意識に身についている部分があるのと同時に、違う個人として、しっかり自我を持っている。”



子育てにおける”守破離”という事もまた、そういうことなのかもしれないな...と、思います。







先日、キッチンカウンターや日差し避けグッズを探しにいろいろなお店を訪れていたのですが...。


主人実家のダイニングテーブルもまたずっと長年使っておられたものだったのですが、昨年、通常は4人用テーブルで使用でき、必要な時には伸ばして使用できるタイプのものに替えられました。


”日常はコンパクトに使用して、お正月等の人が集まる時や義母のお稽古事の関係者の方々とのお茶会の時には広げて使う事ができるテーブル”ということで探し続けて、”お値段以上”というCMのお店で購入されたテーブルで、この日、同じようなテーブルのディスプレイに出会った義母は「こういう雰囲気がいい。」と、ここで使われていたのと同じセンタークロスを購入されたのでした。


”守破離”についての雑感




”○○でなくてはならない。”というふうなこだわりを頑なに持ちすぎるより、どんなことにおいても、自分がいいなと感じたものは取り入れてみる、受け入れてみる姿勢。

それは、たぶん、何よりも自分自身を自由にするものなのかもしれません。





タグ :守破離

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Posted by Dreamer at 17:22 │日常の雑感