2015年11月18日
ルーティンとイメージトレーニング 2015.11
娘が東京に引っ越して以来、”彼女の部屋を訪れた時には、東京の何処かでお蕎麦を食べたい。”という事が、私のこだわりとしてあります。
それは、さながら、スポーツ選手が行うルーティンのように、メンタル面で自分の気持ちを落ち着け、物事を冷静に見て行動するための儀式にも似ていて。
娘が住む部屋を探しに東京に行き、なんとか仮契約を済ませた2年前の2月の夜、お蕎麦の夕食をいただきながら、母として思うことがいろいろありました。そして、その時の風景や味覚の記憶とともに、私の心の奥にずっと残っている”想い”があります。
”街にはそれぞれ独特の空気があって、そこで生活していくにはそこの空気になじんでのびのびと行動できるかどうかが大切だと思うのですが、就活で頻繁に大阪と東京を行き来していた頃から、時間と経費の節約のため夜行バスを利用して往復していた日々でさえ元気に出かけていた事を思えば、彼女にはあっているのかな....きっと、大丈夫なんだろうな...と、思いつつ。
いただいたおそばは、ただおいしいだけでなく、とりあえず家が決まった安心と、これからの彼女の新生活に向けての希望と、母としての心配と、いろいろな思いが入り混じっていて、とても複雑な味わいだったような気がします。”
”その土地の空気と水(環境)に、自然体で馴染むことができること。”
そして、2年と半年以上の日々が過ぎてもなお、遠く離れた関西の地で娘のことを思いながら、日々を過ごす中で、あの日感じ取った、”きっと、彼女は大丈夫”というイメージは私の心に強くはっきり残っており、関東に来てお蕎麦をいただくたびに、あの日の私自身の想いを再確認しているような、そんな気がします。
最終日のランチは、そんな私のこだわりに娘と主人につきあってもらい、昨年6月に訪れたお蕎麦屋さんへ。
娘と主人は、天ぷら盛り合わせと十割蕎麦のセット。
ずっと気になっていた牡蠣の天ぷらがついているのは、主人のオーダー。東京でいただいた今シーズン初の牡蠣は、広島産だそうです。
私のオーダーは、牡蠣の温蕎麦。
今回、出会ったワンちゃんのクリッとした瞳がなんだかとても印象的だったので、前回出会ったまねき猫のネコちゃんならぬ、とっても可愛い番犬のワンちゃんに、また、逢いに行きたいと思っています。
<過去ログ>
・お蕎麦三昧の夕べ 2014.6
・癒される場所と食事についての雑感 (2014.5)
・東京の思い出についての雑感 2014.3
”自分自身が自然体で生きているうえで、何にこだわりを持っているのか”ということは、自分の癖や習慣のように無意識の言動に出てくるものなので、意外とその本人にとってはわかりにくいことが多いです。
でも、お出かけ先で、なにげない日常生活の中で、気になる瞬間や風景にカメラを向けて、その日の思い出を言語化してまとめて残しておく作業が習慣化していると、自分が無意識にひかれた(気になった)ものを、後で”映像や言語での記録”という形でゆっくり見直すことができるので、”自分の無意識の視点”の先に見つめていたものを認識し、そして、そこで意識の奥深いところで考えていたことを発見し、あらためて気がつくこともあります。
そこには、”その時には、自分自身でも気がついていなかった、自分のこだわり”があって、それは、確かに、”自分の未来へ続く歩みへの、大切なヒント”につながっている。
よく世間でも言われているように、”ルーティンは、イメージトレーニングのための大切な礎”なのかもしれないと、やはり、私も、思うのです。
それは、さながら、スポーツ選手が行うルーティンのように、メンタル面で自分の気持ちを落ち着け、物事を冷静に見て行動するための儀式にも似ていて。
娘が住む部屋を探しに東京に行き、なんとか仮契約を済ませた2年前の2月の夜、お蕎麦の夕食をいただきながら、母として思うことがいろいろありました。そして、その時の風景や味覚の記憶とともに、私の心の奥にずっと残っている”想い”があります。
”街にはそれぞれ独特の空気があって、そこで生活していくにはそこの空気になじんでのびのびと行動できるかどうかが大切だと思うのですが、就活で頻繁に大阪と東京を行き来していた頃から、時間と経費の節約のため夜行バスを利用して往復していた日々でさえ元気に出かけていた事を思えば、彼女にはあっているのかな....きっと、大丈夫なんだろうな...と、思いつつ。
いただいたおそばは、ただおいしいだけでなく、とりあえず家が決まった安心と、これからの彼女の新生活に向けての希望と、母としての心配と、いろいろな思いが入り混じっていて、とても複雑な味わいだったような気がします。”
”その土地の空気と水(環境)に、自然体で馴染むことができること。”
そして、2年と半年以上の日々が過ぎてもなお、遠く離れた関西の地で娘のことを思いながら、日々を過ごす中で、あの日感じ取った、”きっと、彼女は大丈夫”というイメージは私の心に強くはっきり残っており、関東に来てお蕎麦をいただくたびに、あの日の私自身の想いを再確認しているような、そんな気がします。
最終日のランチは、そんな私のこだわりに娘と主人につきあってもらい、昨年6月に訪れたお蕎麦屋さんへ。
娘と主人は、天ぷら盛り合わせと十割蕎麦のセット。
ずっと気になっていた牡蠣の天ぷらがついているのは、主人のオーダー。東京でいただいた今シーズン初の牡蠣は、広島産だそうです。
私のオーダーは、牡蠣の温蕎麦。
今回、出会ったワンちゃんのクリッとした瞳がなんだかとても印象的だったので、前回出会ったまねき猫のネコちゃんならぬ、とっても可愛い番犬のワンちゃんに、また、逢いに行きたいと思っています。
<過去ログ>
・お蕎麦三昧の夕べ 2014.6
・癒される場所と食事についての雑感 (2014.5)
・東京の思い出についての雑感 2014.3
そして、お買い物ついでに、
立ち寄っている
いけふくろう君の像。
立ち寄っている
いけふくろう君の像。
”自分自身が自然体で生きているうえで、何にこだわりを持っているのか”ということは、自分の癖や習慣のように無意識の言動に出てくるものなので、意外とその本人にとってはわかりにくいことが多いです。
でも、お出かけ先で、なにげない日常生活の中で、気になる瞬間や風景にカメラを向けて、その日の思い出を言語化してまとめて残しておく作業が習慣化していると、自分が無意識にひかれた(気になった)ものを、後で”映像や言語での記録”という形でゆっくり見直すことができるので、”自分の無意識の視点”の先に見つめていたものを認識し、そして、そこで意識の奥深いところで考えていたことを発見し、あらためて気がつくこともあります。
そこには、”その時には、自分自身でも気がついていなかった、自分のこだわり”があって、それは、確かに、”自分の未来へ続く歩みへの、大切なヒント”につながっている。
よく世間でも言われているように、”ルーティンは、イメージトレーニングのための大切な礎”なのかもしれないと、やはり、私も、思うのです。
”私が、いつまでも子離れできないモヤモヤした気分って、こういう切ない想いに似ているのかもしれない...。”とも、思います。
この日の会場には、小さなお子様とともに入場されていたファミリーが、あちこちにおられました。
ちょうど私たちの席の隣にも、お母さんの膝の上にのった小さな女の子と、ひとりで座っているお姉ちゃんと、お父さんというファミリーがおられ、私が席に着くと、ニコニコご機嫌な小さな女の子が手を伸ばしてきて、ハイタッチしてくれました。
「すみません...。」とおっしゃるお母さんに、「いえいえ、すごくかわいいですね。おいくつですか?」と伺うと、「1歳です。」とのこと。
ショーが始まる前のさまざまなお話の間には泣き出してしまう小さなお子様がおられて、その泣き声が場内に響いてしまうとスタッフの方に誘導されて親御さんとともに会場を後にされる方々がおられる中、彼女はどうやら、お姉ちゃんと一緒にいろいろなディズニーの作品を観たり、ディズニーランドにも来たりしておられるようで、ずっとおとなしくお母さんの膝の上でステージを観ていただけでなく、ショーが始まると、もはや私たち大人以上にノリノリで、ステージ上に広がるディズニーの世界に没頭し、手をたたき、身体を揺らし、ずっと笑顔で、とても楽しそうでした。
”うちの娘の小さい時も、おんなじ笑顔をしていたなぁ...”と、反対側の座席でステージを観ている娘のその頃の思い出を重ねながら...。
”きっと、自分自身にとって大切な人の笑顔というものは、すべての人において、なによりも大切な、永遠に残る宝物なのかもしれないな...”と、しみじみ、思っていました。
”君の願いが、神様に届きますように
祈っているよ どんな時でも どんな場所にいても
ぼくの想いがあなたに届きますように
そして、必ず、かないますように...”
この日の会場には、小さなお子様とともに入場されていたファミリーが、あちこちにおられました。
ちょうど私たちの席の隣にも、お母さんの膝の上にのった小さな女の子と、ひとりで座っているお姉ちゃんと、お父さんというファミリーがおられ、私が席に着くと、ニコニコご機嫌な小さな女の子が手を伸ばしてきて、ハイタッチしてくれました。
「すみません...。」とおっしゃるお母さんに、「いえいえ、すごくかわいいですね。おいくつですか?」と伺うと、「1歳です。」とのこと。
ショーが始まる前のさまざまなお話の間には泣き出してしまう小さなお子様がおられて、その泣き声が場内に響いてしまうとスタッフの方に誘導されて親御さんとともに会場を後にされる方々がおられる中、彼女はどうやら、お姉ちゃんと一緒にいろいろなディズニーの作品を観たり、ディズニーランドにも来たりしておられるようで、ずっとおとなしくお母さんの膝の上でステージを観ていただけでなく、ショーが始まると、もはや私たち大人以上にノリノリで、ステージ上に広がるディズニーの世界に没頭し、手をたたき、身体を揺らし、ずっと笑顔で、とても楽しそうでした。
”うちの娘の小さい時も、おんなじ笑顔をしていたなぁ...”と、反対側の座席でステージを観ている娘のその頃の思い出を重ねながら...。
”きっと、自分自身にとって大切な人の笑顔というものは、すべての人において、なによりも大切な、永遠に残る宝物なのかもしれないな...”と、しみじみ、思っていました。
祈っているよ どんな時でも どんな場所にいても
ぼくの想いがあなたに届きますように
そして、必ず、かないますように...”