2011年10月18日
秋の加古川サイクリング
昨日、所用で加古川駅前へ行くついでに、ひさしぶりのサイクリング。
単なる移動手段としての自転車ではなく、時間をそんなに気にすることなく、通り過ぎる途中の風景を楽しみながら、気ままに寄り道もする。
そんなふうに自転車を走らせるのは、本当にいつ以来なんだろう...という気がします。
もちろん、所用の数々の目的地はあっても、時間に追われている時はその地点をつなぐルートを最短距離で余裕もなく効率的に移動するだけなのに、おおよそのメドはあっても時間を厳守する必要がないサイクリングは心豊かな気分になれます。
朝一番に、お隣のKさんからたくさんいただいた植木のプランターをOさんにももらっていただくために、お父さんの畑までお届けに行きました。
またまた親いもをいただけるということなのですが、長いサイクリングの道のりは始まったばかりなので、後日あらためてうかがうことにして、教えていただいた水道橋を渡って加古川駅前へむかうことにしました。
近くの堤防を車で通り過ぎる事はよくありますが、この升田堤(ごくらくや(侍ジョニー)さんの加古川探訪 第9回印南野まほろば紀行より)から水道橋を渡るのは初めてです。
「対岸に着いたら、南下していけばいい。」と、お父さんから教えていただいてはいましたが、やはり、住宅街に入り込んで迷ってしまいました。
その時に、思っていた事。
よく言われる事だけれど、迷い道とか寄り道って、けっして無駄なものじゃないような気がする。
”最短距離で目的地に到達する事”が効率的な事には間違いないし、ただひたすらその道を繰り返す事にもちろん大切な意味もあると思うけれど、時には、同じ目的地にむかうのに遠回りしたり、寄り道をしたりして、別ルートを探索して、そこで何かを見つけておくと、”同じ最終目的地であっても、違う視点で見たり考えたりすることができる”という利点がある。
加古川駅前で所用を済ませてから、また南下して、今度は高砂側の目的地にむかうため、明姫幹線の橋を渡る。
同じ加古川という川であっても、そこには上流とはまた違う風景が広がっている。そして、中州で草木が倒れている様子に、先日の台風による大雨の痕跡がまだ残っていることに、気がつく。
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”人生を川にたとえた名曲”と言って、どんな曲を思い浮かべるのかというのも、人それぞれ。そこには、”絶対的な正解”なんて、ない。
たとえ、私が一番好きなのは、この曲だったとしても...。
時には、カラオケで、美空ひばりさんの「川の流れのように」を歌いたい気分になったりもします。
目的地が同じであっても、どの橋を渡るのかによって見える景色が違うように、そして、同じ川といっても晴天、曇り、雨、嵐などの天候によって水面の表情が違うように、そこにあるものをそのまま素直に見て、認めて、受け入れて、ただ素直に自然体であわせていくことができるような、そんな生き方ができるのならば、人生という川をゆったりと生きていけるのかもしれません。
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そういえば、川の歌で忘れちゃいけない唄(黒の舟歌)がありました。(かなり、テーマが重いんですけれど・・・。)
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単なる移動手段としての自転車ではなく、時間をそんなに気にすることなく、通り過ぎる途中の風景を楽しみながら、気ままに寄り道もする。
そんなふうに自転車を走らせるのは、本当にいつ以来なんだろう...という気がします。
もちろん、所用の数々の目的地はあっても、時間に追われている時はその地点をつなぐルートを最短距離で余裕もなく効率的に移動するだけなのに、おおよそのメドはあっても時間を厳守する必要がないサイクリングは心豊かな気分になれます。
朝一番に、お隣のKさんからたくさんいただいた植木のプランターをOさんにももらっていただくために、お父さんの畑までお届けに行きました。
またまた親いもをいただけるということなのですが、長いサイクリングの道のりは始まったばかりなので、後日あらためてうかがうことにして、教えていただいた水道橋を渡って加古川駅前へむかうことにしました。
近くの堤防を車で通り過ぎる事はよくありますが、この升田堤(ごくらくや(侍ジョニー)さんの加古川探訪 第9回印南野まほろば紀行より)から水道橋を渡るのは初めてです。
「対岸に着いたら、南下していけばいい。」と、お父さんから教えていただいてはいましたが、やはり、住宅街に入り込んで迷ってしまいました。
その時に、思っていた事。
よく言われる事だけれど、迷い道とか寄り道って、けっして無駄なものじゃないような気がする。
”最短距離で目的地に到達する事”が効率的な事には間違いないし、ただひたすらその道を繰り返す事にもちろん大切な意味もあると思うけれど、時には、同じ目的地にむかうのに遠回りしたり、寄り道をしたりして、別ルートを探索して、そこで何かを見つけておくと、”同じ最終目的地であっても、違う視点で見たり考えたりすることができる”という利点がある。
加古川駅前で所用を済ませてから、また南下して、今度は高砂側の目的地にむかうため、明姫幹線の橋を渡る。
同じ加古川という川であっても、そこには上流とはまた違う風景が広がっている。そして、中州で草木が倒れている様子に、先日の台風による大雨の痕跡がまだ残っていることに、気がつく。
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”人生を川にたとえた名曲”と言って、どんな曲を思い浮かべるのかというのも、人それぞれ。そこには、”絶対的な正解”なんて、ない。
たとえ、私が一番好きなのは、この曲だったとしても...。
時には、カラオケで、美空ひばりさんの「川の流れのように」を歌いたい気分になったりもします。
目的地が同じであっても、どの橋を渡るのかによって見える景色が違うように、そして、同じ川といっても晴天、曇り、雨、嵐などの天候によって水面の表情が違うように、そこにあるものをそのまま素直に見て、認めて、受け入れて、ただ素直に自然体であわせていくことができるような、そんな生き方ができるのならば、人生という川をゆったりと生きていけるのかもしれません。
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そういえば、川の歌で忘れちゃいけない唄(黒の舟歌)がありました。(かなり、テーマが重いんですけれど・・・。)
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