2011年11月27日
石釜パン工房 マナレイア モーニング☆
最近、ちょっとご無沙汰していた石釜工房マナレイアから、今月初めにおたんじょうびお祝いのDMがやってきていました。
”そういえば、あかねの湯になかなか行けなくなって、マナレイアにも行っていないなぁ…”と思いながら、そのDMはなんとなく残してありました。
今朝、軽く朝食を済ませて、娘を駅まで送っていった後、息子の朝食用のパンを購入するために立ち寄って、焼き立てパンがある程度出そろうまで、サービスのホットコーヒーと共に、イートインコーナーでシュークリームとチーズタルトを食べながら一休憩。
ひさしぶりに訪れてみると、改装されて雰囲気が変わっています。
イートインコーナーが少し広くなって、以前駐車場だったところにもテラス席が新しく出来ているため、さらに明るく開放的でいい感じになっていました。
**********************************
<マナレイア:過去ログ>
・2011.2.6
・2010.9.19
・2009.12.20
・2009.10.12
<石釜パン工房 マナレイアの所在地>
◇加古川市野口町長砂95-6 ℡:079-425-0978
”そういえば、あかねの湯になかなか行けなくなって、マナレイアにも行っていないなぁ…”と思いながら、そのDMはなんとなく残してありました。
今朝、軽く朝食を済ませて、娘を駅まで送っていった後、息子の朝食用のパンを購入するために立ち寄って、焼き立てパンがある程度出そろうまで、サービスのホットコーヒーと共に、イートインコーナーでシュークリームとチーズタルトを食べながら一休憩。
ひさしぶりに訪れてみると、改装されて雰囲気が変わっています。
イートインコーナーが少し広くなって、以前駐車場だったところにもテラス席が新しく出来ているため、さらに明るく開放的でいい感じになっていました。
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「おにいちゃんの朝ごはん..って言うより、
なんだか、おやつみたいだね。」
「おねぇちゃんがすねないように、
シュークリームはちゃんと
2人分買って来てあるよ。」
なんだか、おやつみたいだね。」
「おねぇちゃんがすねないように、
シュークリームはちゃんと
2人分買って来てあるよ。」
<マナレイア:過去ログ>
・2011.2.6
・2010.9.19
・2009.12.20
・2009.10.12
<石釜パン工房 マナレイアの所在地>
◇加古川市野口町長砂95-6 ℡:079-425-0978
2011年11月27日
背負う荷物の整理整頓 2011
もうすぐ、12月。2011年も、残すところあと1ヶ月ほどとなりました。
2012年を迎える前に、年末の大掃除と共に、自分の気持ちの大掃除として、今年、いろんなしがらみの中でもがいて、悩んで、その結果、思った事を徒然と...。
************************************
職場でも、私生活においても、人間関係の絡み合うさまざまな場面において。
相手から、私が断る余地のない選択肢の幅すらない依頼を受けた場合、ちょっと厳しいかなと思いつつも情に流されて引き受けてしまうと、やはり無理だったという状況になってしまった時に無責任な結果になって周囲に迷惑をかけて責められたり、”もともと、これは私の背負うべき荷物ではないはずなのに・・・”と思いつつも本来の自分自身の責任分野をないがしろにして対応しないといけない状況に追い込まれたり、後になって後悔することになる可能性がある。
自分自身の背負える許容範囲を超えた荷物を無理に背負おうとすると、結局、限界を超えた時に自分自身がつぶれるか、背負いきれなかった荷物を無責任に放り出すか、本来の自分の背負うべき荷物ごと他の誰かに肩代わりして引き受けてもらわないといけないような本末転倒な結果になってしまったりする。
”打診を受けた段階で自分自身に引き受ける自信がなく、なおかつ、こちらに対する配慮や気遣いが感じられない依頼については、慎重に対応する必要がある事。”
そして、”引き受けてしまうと私自身が負担に感じるような依頼は、逆に、無責任に安請け合いせず、初めからきちんと線引きをしてきっぱりと断るほうが、双方にとっていい。”と、思うようになった。
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実家の父が入院すると、ふだん父が抱えているいろいろな雑務まで、母が代行することになる。
年代的に、父はいろいろなところで”役”を引き受けていたけれど、前回入院した時に、「ある程度、若い方にいろいろな役を引き継いでいただいて、少しずつ自分が背負う荷物を整理整頓しておかないと、自分の健康に自信がない場合、何かあった時に無責任な状況になってしまうし、父が倒れて、ひとりで店と自宅を切り盛りする母にさらに負担をかけて、母まで倒れたら、どうしようもなくなるでしょう。」と、娘の立場からすでに父には言っていた。
背負える荷物の限界は、自分の健康と経済力にかかっている。
健康で体力に自信があれば、充分、背負いきれる荷物の重量であっても、年齢や健康状態によって、自分できっちり加減して判断していかないといけない。
たとえ、健康状態や体力的に自分自身で背負いきれなくても、経済力さえあれば、人を雇って指示を与えることで代行してもらえる。
だから、”健康”と”経済力”をきちんと考えて、自分自身が背負える責任の限界点をきちんと見極めないといけない。
”母まで倒れてしまったら、私も困る。”と心配して、実家の雑事のフォローに忙殺されてしまい、私自身の家庭や仕事や健康に影響が出てしまうと、私にとっては不本意で本末転倒な結果になる。
冷たいようだけれど、”がむしゃらに今まで通りの生活を守ろうとせずに、背負う荷物の整理整頓をしておいてもらわないと、私にはすべてを肩代わりできないよ。”と、言いきるしかない。
自分たちのこだわりや抱えているものを見直したり、取捨選択したりするには、両親の年齢になると頑固になっている分だけ難しいというのは、よく理解している。
でも、たとえ娘であっても、代わりに線引きをして、強引に取捨選択する訳にもいかない。
問題点を抱えている企業のリストラを外部の人間が手出しして強行する事に対して、内部の関係者の立場で見れば”余計なお世話で、迷惑な事”という拒絶反応として返ってくる事に似ているような気がする。
だからこそ、どんなに冷たく思われても、安易にフォローをせずに、自分たちが限界を自覚して、自主的に出来る事と出来ない事の整理整頓をしていってもらうしかない。
人間、若返ることは不可能だけれど、自分で自覚しさえすれば、ある程度の健康状態をキープできるように努力することは出来る。
娘として親に対して望むことは、健康で長生きしてもらうことであって、年老いてからも無理をして毎日を過ごして欲しくはない。
また、すでに別の家庭を守っている立場として、無理なく自然体でフォローできる体制が整わないと、これから先、私自身もだんだん弱っていく年代にさしかかっているので、長く見守り続けることはできない。
そして、私が今、自分の親に対して抱いている思いは、すなわち、ほんの少し先にある将来に、子供達が私たちに対して思うであろう事なのかもしれない...と、自分の身に置き換えて、しみじみ思う。
いくつになっても、夢や希望を忘れずに前向きで生きていきたいけれど、それと同時に、”自分の身の丈をわきまえることに、気をつけていかないといけない。”と、”冷静に忠告するもうひとりの自分”を常に意識していたい。
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バイトに出かける娘を駅まで送っていった時の、今朝の加古川の風景。
自分が親の立場でも、子供の立場でも、当然、”出来ることはやってあげたい”と思う気持ちはある。
逆に、”親子なんだから...と、甘えたい気持ち”も、よくわかる。
ただ、自分の要望だけを押し付けず、相手の負担にならないように気をつけて、相手に対する配慮と気遣いが必要なのは、すべての人間関係の基本である親子だからこそ、もっとも重要なのかもしれない。
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2012年を迎える前に、年末の大掃除と共に、自分の気持ちの大掃除として、今年、いろんなしがらみの中でもがいて、悩んで、その結果、思った事を徒然と...。
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職場でも、私生活においても、人間関係の絡み合うさまざまな場面において。
相手から、私が断る余地のない選択肢の幅すらない依頼を受けた場合、ちょっと厳しいかなと思いつつも情に流されて引き受けてしまうと、やはり無理だったという状況になってしまった時に無責任な結果になって周囲に迷惑をかけて責められたり、”もともと、これは私の背負うべき荷物ではないはずなのに・・・”と思いつつも本来の自分自身の責任分野をないがしろにして対応しないといけない状況に追い込まれたり、後になって後悔することになる可能性がある。
自分自身の背負える許容範囲を超えた荷物を無理に背負おうとすると、結局、限界を超えた時に自分自身がつぶれるか、背負いきれなかった荷物を無責任に放り出すか、本来の自分の背負うべき荷物ごと他の誰かに肩代わりして引き受けてもらわないといけないような本末転倒な結果になってしまったりする。
”打診を受けた段階で自分自身に引き受ける自信がなく、なおかつ、こちらに対する配慮や気遣いが感じられない依頼については、慎重に対応する必要がある事。”
そして、”引き受けてしまうと私自身が負担に感じるような依頼は、逆に、無責任に安請け合いせず、初めからきちんと線引きをしてきっぱりと断るほうが、双方にとっていい。”と、思うようになった。
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実家の父が入院すると、ふだん父が抱えているいろいろな雑務まで、母が代行することになる。
年代的に、父はいろいろなところで”役”を引き受けていたけれど、前回入院した時に、「ある程度、若い方にいろいろな役を引き継いでいただいて、少しずつ自分が背負う荷物を整理整頓しておかないと、自分の健康に自信がない場合、何かあった時に無責任な状況になってしまうし、父が倒れて、ひとりで店と自宅を切り盛りする母にさらに負担をかけて、母まで倒れたら、どうしようもなくなるでしょう。」と、娘の立場からすでに父には言っていた。
背負える荷物の限界は、自分の健康と経済力にかかっている。
健康で体力に自信があれば、充分、背負いきれる荷物の重量であっても、年齢や健康状態によって、自分できっちり加減して判断していかないといけない。
たとえ、健康状態や体力的に自分自身で背負いきれなくても、経済力さえあれば、人を雇って指示を与えることで代行してもらえる。
だから、”健康”と”経済力”をきちんと考えて、自分自身が背負える責任の限界点をきちんと見極めないといけない。
”母まで倒れてしまったら、私も困る。”と心配して、実家の雑事のフォローに忙殺されてしまい、私自身の家庭や仕事や健康に影響が出てしまうと、私にとっては不本意で本末転倒な結果になる。
冷たいようだけれど、”がむしゃらに今まで通りの生活を守ろうとせずに、背負う荷物の整理整頓をしておいてもらわないと、私にはすべてを肩代わりできないよ。”と、言いきるしかない。
自分たちのこだわりや抱えているものを見直したり、取捨選択したりするには、両親の年齢になると頑固になっている分だけ難しいというのは、よく理解している。
でも、たとえ娘であっても、代わりに線引きをして、強引に取捨選択する訳にもいかない。
問題点を抱えている企業のリストラを外部の人間が手出しして強行する事に対して、内部の関係者の立場で見れば”余計なお世話で、迷惑な事”という拒絶反応として返ってくる事に似ているような気がする。
だからこそ、どんなに冷たく思われても、安易にフォローをせずに、自分たちが限界を自覚して、自主的に出来る事と出来ない事の整理整頓をしていってもらうしかない。
人間、若返ることは不可能だけれど、自分で自覚しさえすれば、ある程度の健康状態をキープできるように努力することは出来る。
娘として親に対して望むことは、健康で長生きしてもらうことであって、年老いてからも無理をして毎日を過ごして欲しくはない。
また、すでに別の家庭を守っている立場として、無理なく自然体でフォローできる体制が整わないと、これから先、私自身もだんだん弱っていく年代にさしかかっているので、長く見守り続けることはできない。
そして、私が今、自分の親に対して抱いている思いは、すなわち、ほんの少し先にある将来に、子供達が私たちに対して思うであろう事なのかもしれない...と、自分の身に置き換えて、しみじみ思う。
いくつになっても、夢や希望を忘れずに前向きで生きていきたいけれど、それと同時に、”自分の身の丈をわきまえることに、気をつけていかないといけない。”と、”冷静に忠告するもうひとりの自分”を常に意識していたい。
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バイトに出かける娘を駅まで送っていった時の、今朝の加古川の風景。
自分が親の立場でも、子供の立場でも、当然、”出来ることはやってあげたい”と思う気持ちはある。
逆に、”親子なんだから...と、甘えたい気持ち”も、よくわかる。
ただ、自分の要望だけを押し付けず、相手の負担にならないように気をつけて、相手に対する配慮と気遣いが必要なのは、すべての人間関係の基本である親子だからこそ、もっとも重要なのかもしれない。
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