2011年12月22日
1年の振り返りと来年にむけて 2011
「これは、おかぁさんがじゅうよねんの記録をまとめてきたノートと、今年いちねんの記録を綴ってきた手帳なんだって。」
「これさえ見れば、おかあさんはたとえ3ヵ月前でも半年前でも、10年前の○○月○○日に自分が何をしていたか...さえ、りあるに思い出すことができる、大切な記録の手帳とのぉとなんだよ。」
「でも、記録に頼るっていうことは、すなわち、自分の記憶力に自信がないっていうことでもあるよね...。」
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社会人時代の私の業務内容に、各部門の業務について3ヵ月ごとに目標と達成状況と反省をまとめる「3ヵ月見直し」の報告書類を作成&依頼し、全体のまとめを行うという作業がありました。
当然、その当時は自分自身の業務内容についても、3ヵ月ごとに「Plan → Do → See」を行っていた訳で...。
その習慣は、家庭に入っても「年末に1年を振り返る」という形でずっと続けて、記録にまとめています。
ただ、業務見直しと大きく違うのは、やはり”母”としての役割にはなかなか事前に予測できないものが多く、結果として、「Do → See (→ Plan:次年度の希望目標)」という形にならざるを得ない事が多いです。
でも、”いわゆる「守破離」に当てはめて「Do=”守”」の段階だと考えてみると、その順もまた、ある意味で理にかなっているのかな...”と。
そんな事を思う私は、やはり、どこかで古い考え(自分なりのこだわり)を固持している部分がいろいろあって、毎日の出来事や思った事をこうしてブログという形等で電子媒体に記録しながらも、その前の段階として手帳にメモ書きして残す習慣をなくすことはできず、そして、手帳やブログやPC内に残った記録をもとに、最終的に大判のノートに手書きでまとめるという作業をして、ようやく、気持ちの上でも”〆”をしたと安心できるようです。
”1998年の年末に1年を振り返ってまとめていた記録”から始まっている大判のノートの最後の頁に、”2011年を振り返ってまとめた記録”を書きこんで、昨日、ノートが終了しました。
その1冊のノートには、14年間の私の記録が凝縮されています。
小学生と保育園だった娘と息子が、今では大学生と高校生です。
来年用に新しい大判のノートを探してきて、綴り始める新しいノートに最後の頁を綴る頃には、その記録の中にまだ見ぬ孫の思い出が記されているのかどうか....。
未来は誰にもわからないけれど、”夢を思い描き、目標にして生きる”ことはできる。
子供達が大きくなるにつれ、いろいろな変化に沿って、私自身も少しずつ変わっていったけれど、14年前の記録の中に残っている私が”夢見る事を大切に生きているDreamer”であったように、たぶん、今度新しく購入するノートの最後の頁の記録を綴っている私もまた”夢見る事を大切に生きているDreamer”でしかいられないような、そんな気がします。