2012年03月11日

続:これなぁに? 2012




「おかぁさんはこういう、なにげない”遊び心”がおかぁさんの”元気のみなもと”だって、
 いっています。ピカピカ

「たしか、”インスパイア ザ ネクスト”って、コマーシャルがあったよね...。アセアセ


2011年3月5日付の「これ、なぁに?」記事を見て、今年もつくってみました。 赤面

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Posted by Dreamer at 22:37日常の雑感

2012年03月11日

みんな、”個性”をもっているから




「ずっと、おかあさんが考えつづけていることは、”共生”とか”絆”とかいうことにつながっているらしいよ。」

「...なんだか、むずかしいよね。。。アセアセ


~バクテリア以外の地球上の全生命は、共生の産物なのです。すでに開発して出来上がった部分を、再びつなぎあわせて、全く新しいものをつくりだしたりするわけです。私たちの体も例外ではありません。~
(リン・マーグリス博士:参照 NHK出版「生命 40億年はるかな旅」第1巻 海からの創世 P88より)



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”はるかな昔、別々に生命を維持していた微生物がある時期、環境変化に対応するために結合し、共生する道を選択した結果、今度はその共生を解こうとしてもすでに別々では生きていけなくなって、私たちの身体の真核細胞(核とミトコンドリア)として今も共存している”という説(細胞内共生説)があるらしい。


Beatlesは、4人のグループとして音楽活動をし解散した後、それぞれの音楽活動においても、そして、彼らの生き方においても、世間に認められていたミュージシャンだと、一ファンとして思っている。

YESは、その時代によって所属メンバーが代わりながらも、中核をなすメンバーたちが”YESの音楽”というものを追求し続けているグループだと、やはり、一ファンとして思っている。

所属メンバー全員の個性がとけあったそのグループ全体の中の1個人の個性は、結合を解いた後、どんなふうに他者にとらえられ、かつ、以前の”グループ全体の影響下におかれていた自分”と”個としての自分自身”を、各自がどういうふうに確立するのだろうか...。

たとえば、所属メンバーの各個人が”全体の調和と自分の個性発揮との調整”を必要以上に意識しなくても、Beatlesのマネージャーだったブライアン・エプスタインや野球やサッカーにおける名監督のように、常に全体を見て指揮指令を出す存在があって、所属員それぞれの個性をできるだけそこなわずに自由にのびのびと活動できる環境を整えられる理想的な状態であった場合、もしくは、その個人がどんな状況下においても自分の思い通りに考え行動する(要は、わがままとか自己中といった類の...タラーッ)タイプだった場合、グループや所属先を離れて個人に戻ったとしても、(他者から見た評価はともかく)そんなに本人は悩まなくても済むし、自由にのびのび生き続けていけるのかもしれない。


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”嫁入りするということは、白無垢に象徴されるように、それまでの自分の色を捨てて真っ白になって、嫁ぎ先の色に染まるということ”

”会社に入社するということも、同様に、個人生活を犠牲にしても自分の業務に忠節をつくし、その会社のために貢献すること”

”親や上司など、上の立場の人間が白と言えば、黒いものでも白いものだと思わないといけない。”


私たちの親世代にはそんな古い時代の封建的で滅私奉公的な考え方がまだ残っていたにも関わらず、私たちの子供の世代に至っては逆に”個性を尊重する事が大事だ”とか、”自分自身の意見をしっかり主張することが必要だ”などという時代になっているため、私たちの世代はその両世代の価値観の間にたって、どちらの気持ちも言い分もわかるぶんだけ、双方に配慮しようとすれば、いろいろと難しい立場に立たされる。

そしてどちらにも、(解釈によっては)必要な部分と、間違っていると思う部分がある。

”和をもって貴しと為す” 調和を重んじる心。

”個の尊重” 自己の確立。自立の精神。

人間、生きて行くうえで、そして社会生活を営むうえで、どちらもたいせつで、どちらも必要。


要は、その時々の状況(TPO)にあわせて、いかにバランスをとっていくのかということが重要なのだろう。


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”たま”というグループは強烈な個性を持つ4人のメンバーがそれぞれの独創的な個性を持ち寄って、しかも絶妙なバランスをもってうまく調和させて仕上げた曲とステージパフォーマンスによって見出され、デビューし、一世を風靡した。

その全盛期といわれる時代には、私はこのグループのいわゆる代表曲といわれる歌を数曲知っている程度の記憶しかなかったのだけれど、昨年いろいろ過去の映像を見直したり、我家にあったCDを聴いたり、ネット検索等で調べていくうちに、彼らはデビューした時点ですでに”たまというグループとしての音楽”が完成されており、なおかつ、あまりにも個性の強いメンバーが集まっていたからこそ、その完成された枠組みをさらに発展させるのが難しかったのかもしれないと、思うようになっていった。

そして、そんな過程の中で私が一番興味深く思ったのは、たまを脱退した後の柳原陽一郎さんの音楽活動に対する姿勢だったのでした。

なんとなく、彼は、”調和をとるために本能的に人にあわせて自分を変化させることができる器用さ”と、”音楽に対する個としてのこだわりをしっかりと持っているのにも関わらず、わがままになりきれない不器用さ”を、あわせもっている音楽家のような気がする。



  
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【自分自身の頭の中で混沌としているものを整理するための雑感:過去ログ】
「たいせつなもの」(2012.3.8)
「2012年3月上旬の風景と、”守破離”についての雑感」(2012.3.6)
「さよなら人類」(2012.3.2)



 
 
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Posted by Dreamer at 16:02音楽の話