2012年03月24日

どこでも「アジパンダ」携帯ストラップ

以前、「シルシルミシルさんデー」の番組中テレビで、味の素の工場見学が取りあげられていた時、番組プレゼントプレゼントとして、本当の「味の素」調味料が入った小瓶のついた携帯ストラップがあり、主人は真剣に欲しがっていました。

そして最近、たまたま職場関係の方がその携帯ストラップを持っておられるのを見て、”関東では、どうやらコンビニに売っているらしい。”という情報をうかがい、東京へむかう娘 新幹線 に「コンビニに寄って味の素ストラップを見つけたら、買ってきて欲しい。」と依頼していたらしい。アセアセ

そして、ようやく、娘のお土産としてやってきた、どこでも「アジパンダ」携帯ストラップです。ピカピカ

 


「けいたいストラップだけじゃなく、ほかのちょうみりょうスティックパックもついたセットで、1050えんだったんだって。タラーッ





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ちなみに、昨日、実家へのお土産を購入するため立ち寄った、
みなとや加古川直売所に、こんなグッズがありました。

かりんちゃんのぬいぐるみと一緒に並んでいた、
こりんちゃんの小さな人形は携帯ストラップなんだそうで、
主人は、このこりんちゃんストラップも、ひそかに、
「買ってくれば、良かった。。。」と思っているそうです。ヒ・ミ・ツ

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Posted by Dreamer at 16:00食生活についての雑感

2012年03月24日

深くて、軽い考察 -1 ~故郷・考~




「先日、おかあさんが柳原陽一郎さんのライヴに行って、おとうさんのおみやげにかってきたCDです。」




「ライヴでのなにげないMCや、サインをいただいたときに、すこしだけ、おはなしをさせていただいた内容が、おかあさんのこの”深くて軽い考察”へのきっかけになったそうです。ありがとうございました。」


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浅くて軽い話”は日常生活や社会生活といった身近な周囲やテレビ番組等のマスコミの中にもてあますほどあふれかえっているけれど、その陰で、誰もがそれぞれの”深くて重い事情”を抱えて生きている訳で、そんな重い事情にとらわれすぎていると、一歩も前に踏み出せなくなってしまってかえって良くないから、”なんとかなるさ”みたいな軽い発想で、時折ごまかしながら、とにかくみんな、出来る事を積み重ねて生きている...。

そんな、気がします。

たとえ、世間からバカにされても、”気がつかないフリをしてるんじゃなく、本当に心底気がつかない人は、実は本人にとってはすごく幸せなことなのかもしれないな...。”とかいうのも、ある意味、もっともなことで、どこかでうらやましく思えたり。

でも、”いろいろ考え込んで、悩み過ぎる人”も、結局、世間からバカにされるのは一緒だし、悩む分だけ本人がつらかったりするから、無理に、気になっていることをごまかして考えないようにしたって、結局、幸せかって言えば、そんなことないし。

思い出したように、”深くて軽い考察”というバランス感覚で、何かを考えて、整理して、自己満足レベルでとりあえず納得できたら一息つけるようなそんな感じで、いろんな雑感をブログで時々まとめています。

10代の頃、そして、大学時代からの知人友人達が見ると”あいかわらず、変わらないね。青臭い、未熟なままだね。”と思われるかもしれないような長い年月を経ても変わらない部分と、積み重ねてきた年月の経験なり知識なりで若干、もしくはかなり変化した部分が混在しているのがふつうの人間だと思うので、素直に自分の心に響いてくる何かを深く追求してみたり、考えてみたりして、自分の本質からブレてきている部分に気がついたら、それ以上できるだけ深追いすることなく、軌道修正してみるような、そんなことの繰り返しの生き様のような気がします。

”ごくふつうの、ありふれたひとりの人間として、そして、そんな人間が綴るブログとしては、それでいいんじゃないかな....。”って思っている間は、私はきっと、いろんなことを考えては、頭の中で混沌とした諸々達を”自己満足ブログ”にたんたんと綴っては、ひとまず安心して、生きていくのだと思います。

そんなあれこれって、どこか、阿波踊りに似ているのかもしれない。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ損々」みたいに、明るく考えて、陽気に行動して、でも、そのことの奥深くで何か大切なものを守り続けているのかもしれない...みたいな。


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「故郷」って、実際の土地にあるのではなくて、”思い出”や”心”の中にあるという感覚を、私は持っている。

私の実家の両親はどちらも長男長女の立場ではなかったので、田舎の田畑・家屋敷・先祖代々の墓等を長男が後継ぎとして相続して、”本家としてそれらを守り、さらに代々引き継いでいくという義務”を背負ってくださっていることに感謝していた。
ふだんは日々の生活に追われていても、盆暮れ正月などに田舎へ挨拶に帰り、祖父母や伯父伯母に迎えていただいて、親戚一同が集まって、わいわい賑やかに過ごせる事をとても楽しみにしていました。

そんな両親が自分たちで築いた実家は、やはり、あくまで分家という意識だったため、私にとってもそこは、いわゆる”先祖代々の土地を守る”という意識での「故郷」ではない。”幼い頃の思い出を築いていた家であり、場所”としての「故郷」なのだと思っている。

主人の実家も同様に義父母が築いた家であり、分家という立場だったのだけれど、結婚当時に望まれて同居した時には、その家を守るということを前提にさまざまな義務や制約等を重く課せられていたことに対して、なんとなく、”婚家に入るということは、そんなものなのかなぁ…。”と思い、ある意味、子供たちという次世代のための「故郷」を築いていくために必要な努力なのかもしれないと、思っていた。

でも、阪神大震災が起こって半壊となってしまった家を前にして、主人がローンを組んで費用を負担して、補修するか、もしくは主人の意向にそった図面で2世帯住宅に建てなおすかという話になった時、義父や次男である義弟にもそれぞれの思惑や意向があって、かなり揉めた末、なぜか、悪いのはすべて長男の嫁である私という流れになり、「義父母や義弟の意向にそうように、主人を説得し調整するという嫁の立場をわきまえていないなんて、財産(土地)めあてで同居しているのか。」というような罵倒にさらされるような状況におかれてストレスから身体をこわしてしまい、とことんまで落ちこんで、ようやく、自分がいかに”お人よしのバカ”だったのかと気がついた。

「同居している家から出て”長男の嫁”という立場から身をひかせていただくか、離婚するか、どちらかでないと、毎日生きていることすら、私には、もう、つらい。」



日常の中に存在する見えないようなさりげない義務の数々を、いろいろ無理を重ねながらも我慢して背負っていた人間があっさり身を引いた結果、”取り残されてしまった義務の、やっかいでうっとおしい部分”の数々の重さが次第に露呈して、後から何と言われても、私は、”現在、暮らして守っている家”で子供達を育て、仕事をして、毎日の生活を積み重ねてきました。

子供達にとっての「故郷」の思い出を、周囲の人達や友人たちと共に”この場所”で築いていった年月の歴史があります。


♪Humpty Dumpty♪

 Humpty Dumpty sat on a wall.
 Humpty Dumpty had a great fall.
 All the king's horses and all the king's men
 couldn't put Humpty together again.





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”故郷”とか”実家”とか、誰もが”帰る場所”として拠り所にする場所には、必ず”そこを守り続ける人”の存在が必要で、その人が現実に背負っている義務の重さの分だけ、その人たちを守るべき権利がとても大切なのだろうと、思う。


自分にとっての「故郷」を大切に思うということは、そこで「共に過ごした人」、「時間や思いを共有した人」、そして「そこを守り続けてくれる人」を大切にし、そのうえで、自分自身の気持ちをも尊重するということなのだと、思う。


みんな、それぞれ、まず第一に”自分の立場や視点”で考えてしまうけど。
そして、それは、自分の身を守るためには、最低限必要なことなのだけれど。


渦中の立場にあって重い義務を負うことなく、安全圏の立ち位置を確保しながら、建て前ときれいごとの言葉を並べつつ、自分が受益する権利だけはしっかり主張するのは、気楽で簡単なことなんだろうけれど。

ごまかしてしまったことを、遠い未来に後悔する前に、ちょっと今、真剣に考えてみることが大切なことって、なにげない日常の中にたくさん潜んでいるような、そんな気がします。


”覆水盆に返らず” "It's no use crying over spilt milk." ということわざは、どこか哀しくて、やるせない気持ちにさせるから。




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【自分自身の頭の中で混沌としているものを整理するための雑感:過去ログ】

「春はざわざわ 2012」 ~柳原陽一郎ライヴ~(2012.3.21)
「みんな、”個性”を持っているから」(2012.3.11)
「たいせつなもの」(2012.3.8)
「2012年3月上旬の風景と、”守破離”についての雑感」(2012.3.6)
「さよなら人類」(2012.3.2)




  


Posted by Dreamer at 13:04音楽の話

2012年03月24日

レストランポプラ ~モーニング~ (3/23:播磨町)

 


「きのうのあさごはんは、おとうさんのすきなホットケーキモーニング。コーヒー

「いつものように、マイ・シロップをもっていって、うれしそうにほおばっていました。スマイル


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昨日、息子の学校は終業式。

主人と私は平日休暇だったのと、大阪方面での所用があったので、息子の学校が終わり次第合流して、私の実家へむかい、帰りに主人の実家へ立ち寄って帰ってくるクルマ という、なかなかハードなスケジュールをなんとか無事にこなせた1日となりました。

そんなこともあり、早朝に息子を学校へ送っていった後、モーニングに訪れたレストランポプラ。
平日の開店間もない時間のうえに、雨が降っていた天候だったため、店内に入った時には私たちの貸し切り状態で落ち着いた雰囲気でした。




 




オーダーはもちろん主人の好きなホットケーキのため、
焼くために必要な40分の時間を考慮して、
向かう途中に予約を入れておきました。



自宅で何度チャレンジしても、表面をこがさずにこの厚みのホットケーキを焼くことは難しい、表面はサクサクで中はふんわりした、ポプラのホットケーキです。




ふと思いついて、お願いし、実家の店にいる両親のお昼ごはんにとポプラ弁当を作っていただきました。

届けると、そのボリュームに圧倒オドロキ されていて、後で電話を入れた時に「2人でわけても全然食べきれなくて、夕ごはんのおかずにもなる。」と、言っていました。キョロキョロ アセアセ

<レストランポプラ:過去ログ>
2011.12.8
2011.11.24
2011.3.4
2011.1.30
2010.11.7
2009.12
2009.8.24
2009.7.12
2009.3.30

【レストランポプラの所在地】
◇兵庫県加古郡播磨町北古田1丁目22-12  ℡:079-436-7131


  


Posted by Dreamer at 07:08グルメ (播磨)