2009年08月17日

なつかしい風景と雑感

昨日、主人がバイトに出かける娘を駅まで送っていく時間までに私もお出かけ準備を済ませ、一緒にJRに乗って大阪まで出かけて行った。

私の実家は、小さな店を自営している。私が小さい頃から、年末大みそかは遅くまで営業し、お正月はかろうじて休むけれど、お盆休みもほとんどなかった。井上陽水の初期の「人生が二度あれば」という歌の中で、♪父は今年2月で65/(略)/仕事に追われこの頃少しゆとりができた♪(人生が二度あれば:井上陽水)というフレーズがあるけれど、私の父には70を過ぎてもなお今もゆとりなどない。ガーン  とりたてて趣味らしい趣味もなく、遊びとは無縁の働きづめの毎日。
私がもっと若い頃には、そんな両親に少しは考え方を変えて、もう少し人生を楽しむ余裕を持って欲しいと思った時期もあった。でも、最近ようやく思えるようになったこと。
それは、”たとえ親子といえども、別々の人格を持った個人のそれぞれの人生。過ごしてきた時代風景も環境も違う。どういう生き方がその人にとって自然体で幸せなのかは、あくまで個人的な主観の問題に過ぎないのだろう。”ということ。

私が結婚して実家を出てから、実家の自宅では室内で猫を飼っている。彼らは、両親にとって癒しの存在なのだけれど、私はどうやら猫にアレルギーを持っているようで、自宅に長居ができなくなった。どうしても泊らなくてはならないような時には、ほとんど猫を入れることがないという和室に泊めてもらっている。そんな事情もあって、毎日あいかわらず忙しい母のための手料理を実家で作ってあげることもなかなか出来ず、タッパに詰めて店の方へ持っていくようになった。

実家の店で両親と少し雑談をし、お土産に主人の肌着や靴下などや商店街のお総菜屋さんの手作り惣菜等をいろいろもたせてもらって、午前中のうちにまたもよりの駅まで戻って行った。実家の店近くに昔からある、公園。
なつかしい風景と雑感


通っていた幼稚園から店に戻った後、私は店で本を読んでいるか、この公園で遊んでいるかのどちらかをして過ごしていた記憶がある。公園の遊具も周囲の風景もすっかり変わっているけれど、ここのどこかで、幼かった頃の私が今も遊んでいるような不思議な気持ちがした。
でも、その後すぐ、「今日の夕方には、合宿に行っていた息子が帰ってくる。”お帰り”って出迎えてあげなくちゃ。ニコニコ 」と思った私は間違いなく、もはや小さかったあの頃の私ではなく、すっかり大人になって母になってしまった私だったのだろう。





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Posted by Dreamer at 08:05 │日常の雑感