2010年12月30日
”私の味付け”と、”私の生き方”
今年も、毎年恒例のおせち作りのピークを迎えています。
毎年、”仕事納めまでは、ダウンできない。”と気を張りつめているせいか、多少体調が悪くても最終出勤日までは気力で持ちこたえて、仕事納めが済むと一気に気が緩んでダウンというパターンが多いのですが、今年は昨日が最終出勤日とペースが遅かったおかげで、とうとう今日、来ているようです。。。
黒豆の味付けをしても、ごまめを作っていても、ベースの味付けの計量でミスしたり、とうがらしを刻んだ手でそのまま目の付近をこすってしまい、急いで洗って目薬をさしても痛くて痛くて、しばらく目が開けられなかったり…。
こういう日は、私にとっては、無理をしないのが一番です。
そもそも、”今年の私のおせちの目標イメージ”は、「3月のライオン」3巻に出てくる、”あかりおねいちゃんのおせち料理”でした。
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もれなくセットになっているという、「めんどくささ」と「達成感」。
でも、「やりとげた!!!」「わあっっ☆」ってなる気持ちがいい。
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”本当に、そのとおりだなぁ…。”と、思ったのでした。
たとえ、お料理上手な人から見れば、出来栄えのレベルは散々なものであっても。
自分の自己満足のための”達成感”があって、出来上がったら、気持ちがいい。
”最低限、身近にいる、実際に食べる存在の家族が満足できるレベルであったなら、結局は、それで、いいんじゃないかな…。”と、思うのです。
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昨年の暮れにも、やはり、おせち料理についてあれこれ考えながら、こんな記事を綴っていました。
たぶん、私は初めて新在家ラーメン もんどで見た時以来大ファンになった1枚の絵手紙のイラストと文章(”私の味付けでいきます。よろしくね。”)の中に、「私の味付け」と「私の生き方」というイメージが重なって見えて、とても強く感銘を受けたのだと、思います。
”国が、地域が、家庭が違えば、常識や味付けが違う”ように、”満足のいく生き方”というものも、ひとりひとり違う。
そんな、あたりまえのことをわかっているつもりでも、人は誰もがついつい、自分の価値観を人に対してもあてはめて、押しつけてしまいがちで…。
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来年、成人式を迎える娘は、「成人式には、着物を着ていかない。」と、ずいぶん前に私に宣言していました。
私が大好きだった母方の祖母は着物が大好きだったので、私の成人式の振袖はもちろん、結婚が決まった時には、どんな着物を仕立てて持っていくのかを、本当に楽しみにしていたので一通りそろえた嫁入り道具の着物を、”タンスのこやし”状態にしている私は、とても複雑な心境でした。正直、私自身、社会人時代に着付け教室に通っても、(着せてもらって着物を着るのは好きでも、自分で着たいと思うほどではなかったため)結局、娘に着せつける技術などはとうてい身に着かなかった事もありました。
当然、大好きだった祖母の影響を強く受けている私には、”記念になる日には、娘の振袖姿を見たい。そして、きちんと、記念写真に残したい。”という気持ちがあります。
でも、その当日や前後にいろいろ自分が動き回れる状態でありたいスケジュールの方を楽しみにしている娘自身には、”自分を、着飾っている余裕がない。そして、普段着なれていない着物を着たら、動き回れない。”という気持ちも、わかってしまいます。
そして、結局、”彼女自身が動きやすい服装で、参加する。”ということで結論を出した後も、時期をずらしてでいいから、”私が今も大切にしまっている母方の祖母が一緒に選んでくれた振袖や、レンタルでもいいから、今風の振袖を着ている20歳の娘”の記念写真をきちんと撮影して、それを宝物のように大切にしたいという、親心(親バカとも言います…。)もあるのです。。。
”私には、私の生き方がある”ように、”娘にも、娘の生き方がある”。
”人は、誰に対しても、自分以外の人間に対して、その人の生き方について、自分自身の価値観を押し付ける事は出来ない。”
”これって、実は、本当に難しい問題なのじゃないかな…”と、思ってしまう、師走でバテ気味の私です。。。
毎年、”仕事納めまでは、ダウンできない。”と気を張りつめているせいか、多少体調が悪くても最終出勤日までは気力で持ちこたえて、仕事納めが済むと一気に気が緩んでダウンというパターンが多いのですが、今年は昨日が最終出勤日とペースが遅かったおかげで、とうとう今日、来ているようです。。。
黒豆の味付けをしても、ごまめを作っていても、ベースの味付けの計量でミスしたり、とうがらしを刻んだ手でそのまま目の付近をこすってしまい、急いで洗って目薬をさしても痛くて痛くて、しばらく目が開けられなかったり…。
こういう日は、私にとっては、無理をしないのが一番です。
そもそも、”今年の私のおせちの目標イメージ”は、「3月のライオン」3巻に出てくる、”あかりおねいちゃんのおせち料理”でした。
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もれなくセットになっているという、「めんどくささ」と「達成感」。
でも、「やりとげた!!!」「わあっっ☆」ってなる気持ちがいい。
「3月のライオン」羽海野チカ(白泉社)3巻より引用
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”本当に、そのとおりだなぁ…。”と、思ったのでした。
たとえ、お料理上手な人から見れば、出来栄えのレベルは散々なものであっても。
自分の自己満足のための”達成感”があって、出来上がったら、気持ちがいい。
”最低限、身近にいる、実際に食べる存在の家族が満足できるレベルであったなら、結局は、それで、いいんじゃないかな…。”と、思うのです。
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昨年の暮れにも、やはり、おせち料理についてあれこれ考えながら、こんな記事を綴っていました。
たぶん、私は初めて新在家ラーメン もんどで見た時以来大ファンになった1枚の絵手紙のイラストと文章(”私の味付けでいきます。よろしくね。”)の中に、「私の味付け」と「私の生き方」というイメージが重なって見えて、とても強く感銘を受けたのだと、思います。
”国が、地域が、家庭が違えば、常識や味付けが違う”ように、”満足のいく生き方”というものも、ひとりひとり違う。
そんな、あたりまえのことをわかっているつもりでも、人は誰もがついつい、自分の価値観を人に対してもあてはめて、押しつけてしまいがちで…。
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来年、成人式を迎える娘は、「成人式には、着物を着ていかない。」と、ずいぶん前に私に宣言していました。
私が大好きだった母方の祖母は着物が大好きだったので、私の成人式の振袖はもちろん、結婚が決まった時には、どんな着物を仕立てて持っていくのかを、本当に楽しみにしていたので一通りそろえた嫁入り道具の着物を、”タンスのこやし”状態にしている私は、とても複雑な心境でした。正直、私自身、社会人時代に着付け教室に通っても、(着せてもらって着物を着るのは好きでも、自分で着たいと思うほどではなかったため)結局、娘に着せつける技術などはとうてい身に着かなかった事もありました。
当然、大好きだった祖母の影響を強く受けている私には、”記念になる日には、娘の振袖姿を見たい。そして、きちんと、記念写真に残したい。”という気持ちがあります。
でも、その当日や前後にいろいろ自分が動き回れる状態でありたいスケジュールの方を楽しみにしている娘自身には、”自分を、着飾っている余裕がない。そして、普段着なれていない着物を着たら、動き回れない。”という気持ちも、わかってしまいます。
そして、結局、”彼女自身が動きやすい服装で、参加する。”ということで結論を出した後も、時期をずらしてでいいから、”私が今も大切にしまっている母方の祖母が一緒に選んでくれた振袖や、レンタルでもいいから、今風の振袖を着ている20歳の娘”の記念写真をきちんと撮影して、それを宝物のように大切にしたいという、親心(親バカとも言います…。)もあるのです。。。
”私には、私の生き方がある”ように、”娘にも、娘の生き方がある”。
”人は、誰に対しても、自分以外の人間に対して、その人の生き方について、自分自身の価値観を押し付ける事は出来ない。”
”これって、実は、本当に難しい問題なのじゃないかな…”と、思ってしまう、師走でバテ気味の私です。。。
昨年も、本日付(12/30)でテンプレートを模様替えしていたので、今年も本日付で迎春向けに模様替え。
Posted by Dreamer at 11:31
│食生活についての雑感