2014年04月14日
”怒ってもいいかな?”
ようやく家族旅行の写真整理と思い出記録のまとめがひととおり落ち着いたので、ずっと気になっていた事からの雑感。
3月中旬にひとりで東京へ行った時の、帰りの新幹線車内にて。
東京駅で新幹線に乗り込んで、自分の指定席の座席に落ちついてしばらくした時、いかにもビジネスマンって感じの男性が「あなたの席は、こちらですか?」と声をかけてこられた。
笑いながら座席予約の紙をヒラヒラさせておられたので、明らかに『あなたは、違う席に座っていますよ。そこは、私の席です。』って感じの言い方だったのだけれど...。
「はい、そうです。」って答えて、私の指定席のチケットを見せたら、「ダブル ブッキングだ!!」とめちゃくちゃ怒りだされた。
”私に、そんなふうに怒鳴られても困るなぁ...。”と思いながら、「○○時○○分発のひかり○○号、○○号車○番○の席ですよね。」と再確認したら、改めて自分の座席の予約券を確認されて、今度は、「1本早いのに、乗ってしまった...」と、うろたえておられた。
結局、空いている別の座席に座って、JRの乗務員の方が切符の確認に来られた際に事情を話しておられた後、その方は空いている席を順次移動されているうちに、どこかに行ってしまわれたのだけれど...。
その後、夕食代わりのお弁当を食べる前に、車内販売のビールを買って飲みながら...。
”JRも、私も、悪くないよね...。”と、思った。
帰宅して、その話をすると、たいていみんなが、「理不尽に怒鳴られて、そこは怒るとこでしょ。」と言っていたのだけれど...。
たぶん、私には感情的な反応が鈍いところがあるのか、その時も、その後しばらくも、”なぜ、この人はこんなふうに怒っておられるのだろう?”とか、”なぜ、私はあの時、怒鳴られなければいけなかったのだろう?”と理解できなくて、ただ、茫然としていたのだろうと思う。
そして逆に、私が怒らなければならないのだろうと思う場面に、「こういう状況下で、私の立場から言うとこういうふうに思うのだけれど、いかがでしょうか。」と理屈で話し合おうとすると、業務上においてはとてもスムーズに進むのに、プライベートにおいてはたいていの場合、「何うっとおしいことを、ごちゃごちゃ言ってるの。」「ややこしいことを言わないで欲しい。」というふうに流されがちで、”困ったなぁ...。”と思ってこちらのほうが悩むこともあって、主人等から「ごちゃごちゃ理屈を並べずに、ストレートに怒ったほうがわかりやすい。」と言われることがある。
また、子供たちや主人に対してそんなふうに話し合いで解決しようとする私の姿勢の中にも、感情論的に相手に伝わる事もあって、そういう時は話し合うより先に、うっとおしく思わせてしまうらしい。
3月末に”笑っていいとも”が終了した時に、特別番組を見ながら、「笑っていいかな?」という問いかけには「いいとも!」って簡単に返ってくるし、返しやすいんだけれど、「怒っていいかな?」って問いかけには、なかなか「いいとも!」とは返ってこないだろうし、そういうふうに聞かれた場合に「感情的になるより、お互いの立場からの意見交換をして、理性的に結論を出すために、まず、冷静に話し合いませんか?」と提案すると、どれくらいの%でうまく問題解決出来るのかなぁ...と、考えていた。
そして、やしきたかじんさんが亡くなってしまった後も続いている「たかじんのそこまで言って委員会」を観ていて、それぞれ違う意見を持った人たちが建て前と本音を交えながら自分の意見を主張しあいつつ、”自分の感情論で率直に言うならば、怒っていいかな?”という、上手な怒り方を番組内で模索し、示してくれているような、そんな気がしていました。
立場や、考え方、視点や価値観が全く違う人達が全員、納得し、問題解決することって、ものすごく難しい事だと思うけれど...。
自分の意見や感情を率直に示すためには、”上手な怒り方”が出来るようにならないといけないと思う、年代になったのだろうと思います。
3月中旬にひとりで東京へ行った時の、帰りの新幹線車内にて。
東京駅で新幹線に乗り込んで、自分の指定席の座席に落ちついてしばらくした時、いかにもビジネスマンって感じの男性が「あなたの席は、こちらですか?」と声をかけてこられた。
笑いながら座席予約の紙をヒラヒラさせておられたので、明らかに『あなたは、違う席に座っていますよ。そこは、私の席です。』って感じの言い方だったのだけれど...。
「はい、そうです。」って答えて、私の指定席のチケットを見せたら、「ダブル ブッキングだ!!」とめちゃくちゃ怒りだされた。
”私に、そんなふうに怒鳴られても困るなぁ...。”と思いながら、「○○時○○分発のひかり○○号、○○号車○番○の席ですよね。」と再確認したら、改めて自分の座席の予約券を確認されて、今度は、「1本早いのに、乗ってしまった...」と、うろたえておられた。
結局、空いている別の座席に座って、JRの乗務員の方が切符の確認に来られた際に事情を話しておられた後、その方は空いている席を順次移動されているうちに、どこかに行ってしまわれたのだけれど...。
その後、夕食代わりのお弁当を食べる前に、車内販売のビールを買って飲みながら...。
”JRも、私も、悪くないよね...。”と、思った。
帰宅して、その話をすると、たいていみんなが、「理不尽に怒鳴られて、そこは怒るとこでしょ。」と言っていたのだけれど...。
たぶん、私には感情的な反応が鈍いところがあるのか、その時も、その後しばらくも、”なぜ、この人はこんなふうに怒っておられるのだろう?”とか、”なぜ、私はあの時、怒鳴られなければいけなかったのだろう?”と理解できなくて、ただ、茫然としていたのだろうと思う。
そして逆に、私が怒らなければならないのだろうと思う場面に、「こういう状況下で、私の立場から言うとこういうふうに思うのだけれど、いかがでしょうか。」と理屈で話し合おうとすると、業務上においてはとてもスムーズに進むのに、プライベートにおいてはたいていの場合、「何うっとおしいことを、ごちゃごちゃ言ってるの。」「ややこしいことを言わないで欲しい。」というふうに流されがちで、”困ったなぁ...。”と思ってこちらのほうが悩むこともあって、主人等から「ごちゃごちゃ理屈を並べずに、ストレートに怒ったほうがわかりやすい。」と言われることがある。
また、子供たちや主人に対してそんなふうに話し合いで解決しようとする私の姿勢の中にも、感情論的に相手に伝わる事もあって、そういう時は話し合うより先に、うっとおしく思わせてしまうらしい。
3月末に”笑っていいとも”が終了した時に、特別番組を見ながら、「笑っていいかな?」という問いかけには「いいとも!」って簡単に返ってくるし、返しやすいんだけれど、「怒っていいかな?」って問いかけには、なかなか「いいとも!」とは返ってこないだろうし、そういうふうに聞かれた場合に「感情的になるより、お互いの立場からの意見交換をして、理性的に結論を出すために、まず、冷静に話し合いませんか?」と提案すると、どれくらいの%でうまく問題解決出来るのかなぁ...と、考えていた。
そして、やしきたかじんさんが亡くなってしまった後も続いている「たかじんのそこまで言って委員会」を観ていて、それぞれ違う意見を持った人たちが建て前と本音を交えながら自分の意見を主張しあいつつ、”自分の感情論で率直に言うならば、怒っていいかな?”という、上手な怒り方を番組内で模索し、示してくれているような、そんな気がしていました。
立場や、考え方、視点や価値観が全く違う人達が全員、納得し、問題解決することって、ものすごく難しい事だと思うけれど...。
自分の意見や感情を率直に示すためには、”上手な怒り方”が出来るようにならないといけないと思う、年代になったのだろうと思います。
Posted by Dreamer at 09:30
│日常の雑感