2009年10月14日

収穫の秋に感謝☆

一昨日、収穫したばかりの新米のいただきものがあり、また昨日の朝にはいつものOさんから”春菊を収穫したから、仕事帰りに取りにおいで。”とのお電話があったので、午前勤務の後立ち寄り、新鮮な春菊の他に青梗菜やピーマンやなすびやさといも等をいただいてきました。自転車
収穫の秋に感謝☆


昨夜のお鍋には、ここにはもう写っていませんがOさん宅の畑で収穫したばかりの新鮮で柔らかい春菊が入っていました。今朝の雑炊は、Aさんにいただいた新米を炊いたものを使わせていただきました。なんとなく、そう思っていただくと、我家のさりげない献立もめちゃくちゃ贅沢に感じてしまいます。ニコニコ

そして、Oさんがいつも”お返しに気を使わないように。”とおっしゃるのですが、”うれしかった気持ちを伝えるために、どんなお返しをさせていただこうかな音符”とあれこれ考えることもまた、いただきものをした後の楽しみのひとつです。ハート

市販のものであれ、手作りの品であれ、きちんと対価をお支払いして購入したものに対してはお返しの気遣いはいりませんが、”ご厚意で(無償で)いただいたものについては、それによって自分が受け取った気持ちの分だけ何らかの形できちんとお返しをしなければ気持ちのバランスが取れない。”と私は思うので、あれこれ先様のことを考えながらどんな形でお返しをするのかを考えることは楽しいものだと、思ってしまいます。スマイル

たとえば、私は独身時代にサービス業の人事関係に所属していた経験から、提供し販売する商品の品質はもちろん大切なのだけれど、そこに付加価値をつけるサービスの品質がどうしても気になってしまうところがあります。
某ハンバーガーチェーンの”スマイル 0円”という表記が有名ですが、サービス業すべてにおいて、そこが航空機関係でも、医療関係でも、百貨店や量販店でも、飲食店でも、テーマパークであっても、単なる営業スマイルだけではない”無償だけれどさりげない顧客に対するサービスの価値”は、無料であるがゆえに、それがそこで働いておられる個々人の魅力にとどまらずその会社(店)全体のイメージアップにつながって、反対に価格では換算できないようなとても大きなものであるような気がします。
以前から開設していた個人のHPやここてんこもりには、私がふらっとランチや買い物に立ち寄るすべてのお店を、記録として残しているわけではありません。提供していただいた商品内容やサービス等の数々の要因の中で、私の心に響く何かを感じた時には、何らかの形にしたいという思いから、私なりの記事としてまとめ、自分自身の記録にして残していっています。
そこには、”無償でいただいた気持ち(うれしかったサービス)には、無償で感謝の気持ちをせめてものお返しとしてまとめたい。”という思いがあります。
当然の事ながら、個人的に純粋な気持ちでいただいたうれしい贈り物やサービスに関しては、金額ではとても換算できない思いをどういう形で(お返しの品の単純な価格だけではなく、それを得るためにどういうプロセスを経て準備するかといったことも含めて)表現するかということが、ある意味大変ではあってもすごく楽しみである過程なのだと思えます。

なにげない日常の中で積み重ねていく、そんな気持ちのやり取り。
そんな、なにげないけれど大切なものをきちんと見過ごさずに生きていけるような毎日を過ごせること。
それこそが、もしかしたら、すごく貴重で贅沢なものなのかもしれないと思ってしまう、収穫の秋です。ピカピカ









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Posted by Dreamer at 16:56 │日常の雑感