2012年06月16日
6月の雨の朝の風景と雑感
街を自転車で走っている時、小学校や中学校から下校途中の子供たちとすれ違うと、今でも、つい、その当時の娘や息子の姿を探してしまうことがある。
もちろん、子供たちはいつまでもその時代にとどまっているわけではなく、現在、息子は高校生であり、大学生の娘は来年には就職して家から巣立っていくことになる。
でも、地元の風景のあちこちに、小さかった頃の子供たちの思い出が時空を超えて残っているように。
”その時代に、どこに所属して、どんな時間を過ごし、どんな人と出会い、どんな思い出を作り、残していくのか”ということには、やっぱり、運命的な何かによるところがあるのかもしれない。

私が高校生の頃、大学受験をして、国公立大学の合格発表の掲示板の前でただ立ちつくした後、その春に入学した私立大学のキャンパスでいろいろな人達と出会い、憧れていた放送局でのバイトの中でもたくさんの出会いがあり、結局、そこで過ごした4年間の中でたくさんの思い出を作って、卒業の日を迎えた。
結婚して、主人の実家で同居生活を過ごしていた頃に阪神大震災に遭遇し、その後のさまざまな余波の荒波の中で、とうとう心身ともに持ちこたえられなくなった私は、その後、新天地として越してきたこの地でもまた、いろいろな人達と出会い、子育ての中で、また、仕事の中でもたくさんの出会いがあって、かけがいのない思い出の数々を築いてきた。
人生の転機の中には、希望と共に飛躍する時ばかりでなく、理想が崩れてしまったり、思いがけない事態に遭遇したりして、自分にとっての大きな挫折の中でも、とにかく先に進んでいかなければならない時もある。
人間が生きていく人生の日々の中には、晴れの日があれば、雨の日や嵐の日もある。
そんな時に、自分がどんなふうに歩みを進めていくのかによって、次のステップの方向性が決まるのかもしれない。
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それは10年以上前、私の弟の葬儀の日、失意のどん底にいた母に伯母が言った、なぐさめのつもりであったであろう言葉。
「子供がいたからこそ、楽しい思い出もあるし、失った悲しみがある。初めから子供のいない私には、失う悲しみがないけれど、楽しい思い出も何もない。」
その時の私には、母をなぐさめ、励ますつもりであったであろう伯母の気持ちをくみながらも、どこかに違和感を感じるものがあった。

昨年、私が信頼を寄せている方との全然別の会話の流れの中で、その”釈然としない違和感”について話したことがあったのだけれど、「たぶん、伯母さんのその言葉は、おかあさんをなぐさめるとか、励ますとかいうよりも、自分を納得させるようなつもりで、そう言われたのだと思うよ。」と言われた時、それまで全くつかみどころのなかった”違和感”が、ほんの少しぼんやりと見えたような気がした。
いろいろな状況を前にした時、正論とか、相手の気持ちに配慮するとか、そういう理屈や感情を超えたまったく違う次元のところに、自分自身を納得させるための視点があり、言葉があるのだと。
それがいいとか悪いとかいうことすら超越した中で、ただ、そこにある運命を受け入れて、その流れに沿って、自分が納得できる答えを見つけ、時には自分に言い聞かせるようにして、前をむいて歩み続けていくために。
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今日、この記事を拝見してユーミンの「紅雀」のCDを聞いた後、ネット検索して、ある映像に出会った。
違和感を感じさせない映像&音楽&歌詞(言葉)に出会えると、やっぱり、”ほっ”とするような気がします。
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ふと、検索してみた、中島みゆきさんの「世情」。
それは10年以上前、私の弟の葬儀の日、失意のどん底にいた母に伯母が言った、なぐさめのつもりであったであろう言葉。
「子供がいたからこそ、楽しい思い出もあるし、失った悲しみがある。初めから子供のいない私には、失う悲しみがないけれど、楽しい思い出も何もない。」
その時の私には、母をなぐさめ、励ますつもりであったであろう伯母の気持ちをくみながらも、どこかに違和感を感じるものがあった。

昨年、私が信頼を寄せている方との全然別の会話の流れの中で、その”釈然としない違和感”について話したことがあったのだけれど、「たぶん、伯母さんのその言葉は、おかあさんをなぐさめるとか、励ますとかいうよりも、自分を納得させるようなつもりで、そう言われたのだと思うよ。」と言われた時、それまで全くつかみどころのなかった”違和感”が、ほんの少しぼんやりと見えたような気がした。
いろいろな状況を前にした時、正論とか、相手の気持ちに配慮するとか、そういう理屈や感情を超えたまったく違う次元のところに、自分自身を納得させるための視点があり、言葉があるのだと。
それがいいとか悪いとかいうことすら超越した中で、ただ、そこにある運命を受け入れて、その流れに沿って、自分が納得できる答えを見つけ、時には自分に言い聞かせるようにして、前をむいて歩み続けていくために。
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今日、この記事を拝見してユーミンの「紅雀」のCDを聞いた後、ネット検索して、ある映像に出会った。
違和感を感じさせない映像&音楽&歌詞(言葉)に出会えると、やっぱり、”ほっ”とするような気がします。

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ふと、検索してみた、中島みゆきさんの「世情」。
Posted by Dreamer at 09:48
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