2012年12月17日
”臨機応変”と”是々非々”
土曜日の朝、起きたら喉が痛くて、身体がだるくて重かった。
それでも懇談のため、マスクをつけて完全装備で息子の学校へ。終了後、ますます状態が悪化して、熱が出てきたので、いったん帰宅し、かかりつけ医に予約を入れてから、医院へ出かけていきました。
どうやら風邪の初期段階だったようで、処方薬をいただいて、結局、その日は完全にダウン
。
その日予定していたすべての所用をキャンセルして、とにかく、休養に努めました。

弱っている時にあせっても仕方がないし、どうしようもない。
身体を休めて、少しでも何かを食べることができるようになったら無理しない範囲で食べて、きちんと薬を飲んで、ひたすら休息に努めて。
おかげで、翌日の日曜日にはのどの痛みや身体のだるさがマシになって、朝ゆっくりめのペースで起床した後に、本来は土曜日に予定していた所用のうち、出来るだけ早めに済ませておきたかったものを出来る範囲で済ませようと出かけていきました。

”選挙の投票を、期日前投票で先に済ませておいて良かった。”と思いつつ、かと言って、”先手必勝”がすべてにおいて正解なのではなくて、昨日のように身体が弱っている時にまで、無理をして少しでも早く所用を済ませようとするのではなく、そういう時にはあっさりあきらめて休養に徹することも大切で、どちらかというと、”明日出来ることは、無理をしてまで今日行わない。”という発想で、”その日に出来る事、優先して行わないといけない事だけに集中する、徹する。”ということなのだろうなぁ...。と。
自分自身の体調を鑑みながら、週明けからの家事や仕事にさし障りのない範囲で出来るだけの所用を済ませ、多少不義理をしてもあきらめるものを判断し、行動して、この週末を無事に終えました。
そこにある判断には”完全な正解”などなく、臨機応変に、ただ、”自分なりに精いっぱい誠実に対処した”という結果が残ったということなのだと、思います。
************************************
”臨機応変”という姿勢は、見方によっては、”日和見主義”のようで、曖昧で、一見するとポリシーがないように見えるかもしれないけれど。
表面上の変化のその奥底に、その人なりの信念が基盤として存在しているならば、長いスパンで、大きな視野で見ていると、それは必ずわかってくるものだと信じていたい。

たとえ大海の水面上が荒れているように見えても、深海に存在する穏やかな空間をも見つめているような、そんな視点を意識しながら、すべての人がそれぞれ、自分なりの”是々非々”を持ち続けていられるようであれたらいいな...と、思います。

それでも懇談のため、マスクをつけて完全装備で息子の学校へ。終了後、ますます状態が悪化して、熱が出てきたので、いったん帰宅し、かかりつけ医に予約を入れてから、医院へ出かけていきました。
どうやら風邪の初期段階だったようで、処方薬をいただいて、結局、その日は完全にダウン

その日予定していたすべての所用をキャンセルして、とにかく、休養に努めました。


弱っている時にあせっても仕方がないし、どうしようもない。
身体を休めて、少しでも何かを食べることができるようになったら無理しない範囲で食べて、きちんと薬を飲んで、ひたすら休息に努めて。
おかげで、翌日の日曜日にはのどの痛みや身体のだるさがマシになって、朝ゆっくりめのペースで起床した後に、本来は土曜日に予定していた所用のうち、出来るだけ早めに済ませておきたかったものを出来る範囲で済ませようと出かけていきました。

”選挙の投票を、期日前投票で先に済ませておいて良かった。”と思いつつ、かと言って、”先手必勝”がすべてにおいて正解なのではなくて、昨日のように身体が弱っている時にまで、無理をして少しでも早く所用を済ませようとするのではなく、そういう時にはあっさりあきらめて休養に徹することも大切で、どちらかというと、”明日出来ることは、無理をしてまで今日行わない。”という発想で、”その日に出来る事、優先して行わないといけない事だけに集中する、徹する。”ということなのだろうなぁ...。と。
自分自身の体調を鑑みながら、週明けからの家事や仕事にさし障りのない範囲で出来るだけの所用を済ませ、多少不義理をしてもあきらめるものを判断し、行動して、この週末を無事に終えました。
そこにある判断には”完全な正解”などなく、臨機応変に、ただ、”自分なりに精いっぱい誠実に対処した”という結果が残ったということなのだと、思います。
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”臨機応変”という姿勢は、見方によっては、”日和見主義”のようで、曖昧で、一見するとポリシーがないように見えるかもしれないけれど。
表面上の変化のその奥底に、その人なりの信念が基盤として存在しているならば、長いスパンで、大きな視野で見ていると、それは必ずわかってくるものだと信じていたい。

たとえ大海の水面上が荒れているように見えても、深海に存在する穏やかな空間をも見つめているような、そんな視点を意識しながら、すべての人がそれぞれ、自分なりの”是々非々”を持ち続けていられるようであれたらいいな...と、思います。
Posted by Dreamer at 14:19
│日常の雑感