2013年12月20日
”お手本”と”反面教師”と”感謝の心”


「みんな誰もが欠点を持っているんだよ。でも、人の短所は見方を変えれば長所になるかもしれない。だから、自分で自分の欠点に気がついてイヤだなって思っても、変えることは難しくて出来ないなと思ったら、せめて、自分の中のそんな部分に、きれいな包装紙をかけることは出来るんだよ。その包装紙っていうのはね、いわゆる”知性”とか”教養”なんだけどね。」
私が幼い頃から今もなお、ずっとお世話になっている叔母からいただく贈物

だからこそ、目立つ処に飾っているクリスマスプレゼント


最近、ふと、思ったこと。
自分自身がなにげなく、あたりまえにできること、していることに対しては、たぶん、あたりまえすぎて気がつかなかったり、何も思わなかったりするのだろうけれど...。
自分が不得意なこと、どんなにがんばろうとしても出来ないことを、さらっと考えてあたりまえのようにこなしてしまう人に出会って、強烈なインパクトを受けると、ただただ尊敬し、少しでもその人を見習って自分も努力しなくちゃいけないなぁ...と思います。
そして、その反面、他の人が自分には思いもつかないようなことを考えていることを知ったり、行動されていたりして、逆の意味で強烈なインパクトを受けた時には、そんなふうに考えることが出来るんだとびっくりしたり、愕然としたり、自分はこんな行動をとらないように気をつけないといけないなぁ...と、思います。
”お手本”にしたいことと、”反面教師”にしたいこと。
誰しも完璧な人っていないから、同じ人の中にその両面があるのが普通で、そして、もちろん私自身の中にも、そんな両面の要素があるからこそ人間なんだと思うから。
どちらに対しても、”気づかせていただいたことに対して、感謝する”ことが、一番、素直な気持ちなんだろうなぁ...と。
そして、それは親子という、育て育てられた相互関係の中では、他のどんな人間関係よりも影響力が強いものがあって。
親の強い影響下にある時は、全く気がつかなかったものが、親離れをして自分の視野が広がると、自分の親のいい面も、悪い面も見えてくる。
”生んでくれて、育ててくれた親には、感謝しないといけない。”という前提条件に縛られて、あえて、悪い面を見ないふり、気づかないふりしているだけでは、育ててもらった年月に影響を受け、培われたであろう自分の弱点を克服できないから。
自分の親の弱点を冷静に見ることは、ある意味、自分自身の弱点に真摯にむかいあうことになるのかもしれないなぁ...。と、思います。
早くから反抗期があって、家にいる頃には母娘喧嘩してぶつかることが多かった娘は、就職して自活してから、たまに会う時やメールやラインのやりとりでは、なんだか以前より素直でやさしくなったような気がしたり...。
どちらかというと素直でおとなしくて、常にいい子だった息子は、半下宿して親元を離れてからは、週末などに会うと少しずつ生意気になってきて、反発することも多くなり、そんな愚痴を私の友人たちにこぼすと、「あの○○君も、ようやく反抗期になったんだね。安心じゃない。」と笑われて、どこかで納得している私がいたり...。
そんなふうに、徐々に親離れしていく子供たちに対して、徐々に子離れせざるをえないと自分に言い聞かせている私は、やっぱり、今もなお、子育てしながら、自分育てをしていると痛感します。
そして、同時に、結婚して実家を離れるまで親として育ててくれた実の両親と、結婚して同居し別居生活に至ってからも姑として主人の母として子供たちの祖母として20年以上の年月を過ごしてきた義母との関係の中からも、その身近な関係ゆえに生じる影響力の強さから受ける”お手本”の部分と”反面教師”の部分にきちんと冷静にむかいあい、”気づかせていただいたことに対して、感謝する”ように心がけることも、子供の立場からの、自分育てに通じるのかもしれないなぁ...と、思うのです。
今日、ずっと気になっていた水槽の掃除を終えて、年末年始の買い物を少しずつスタートしています。
昔と比べると、年末だからといって食料品の買いだめをする必要はなくなったので、慎重に吟味していくはずなんですが、はたして、どうなっていくのやら...。

Posted by Dreamer at 08:33
│日常の雑感