2015年07月30日

7月下旬の雑感 2015

先日、主人が買ってくれたミニバラのブーケお花が、我家の食卓を彩ってくれています。スマイル

7月下旬の雑感 2015


”人の言動”って不思議なもので、そのまま表面上どおりのものだけでなく、そのなにげない言動の背景に、いろいろな想いが見え隠れすることが多々あります。


たとえば、私が主人のお世話になっている方からのいただきもののお返しを手配した後、義父の墓前に供える花を選んでいる時に、(暑い時期なので、我家のバラが咲いていないため)主人が私のためにミニバラのブーケを選んでくれていたこと。

それは、息子が主人の実家に下宿してお世話になっているため、できるだけ私たちが週末には義母を買い物やランチレストランにお誘いしたり、食材や日用品を届けたりしていることに似ていて。


直接的に自分のためでなくて、間接的にであっても、自分に関係することで誰かにお世話になったり、助けていただいたりしたことへの”ありがとう”という感謝の気持ちを、どういう形で表現するのか...と、いうことなのだろうと思います。


定期的に収穫したばかりのお野菜をいただいているOさん宅へのお礼の品や、どこかへ出かけたらお土産のお菓子をいただいている職場やご近所の方々に対して、自分がどこかへ旅行に出かけた時には、気持ちばかりのお返しのつもりでどんなお土産プレゼントを選ぼうかと、お渡しした時の相手の笑顔をひとりひとり思い浮かべて考えることが楽しいように。



単に形式だけのやりとりならば、倹約のための”虚礼廃止”は大切なのだけれど、そういう”相手を思いやった気持ちのやりとり”は、贈る側であれ、いただく側であれ、うれしいものだと、お盆のご挨拶の時期なのもあって、この小さなミニバラの花を見るたびに、やはり、思うのです。ニコニコ





自分が誰かのために何かをするときは、基本的に見返りを期待しているわけではなくて、”素直に自分が行いたいことを行っているという、事実”だけで、充分完結しているわけだけれど...。

それでも、”きちんと感謝の気持ちが伝わってくるものが、言葉であれ、何らかの形になったモノであれ、返ってくること”は、もちろん、うれしいと思う。

そこには、”ビジネスライクなギブ&テイクとは、まったく異なる想いのやりとりが、存在する。”ということが前提となっているから。


でも、たとえ、親子などの身内であっても、職場などでのコミュニケーションであったとしても、良かれと思った想いがきちんと伝わらずに気持ちがすれ違ってしまって、表面上の”言葉のやりとり”でこじれてしまうような状況下においては、深追いせずに、冷静な判断ができるように、適度な距離と時間を置くことが、お互いに対する配慮であり、気遣いなんだろうな...とも、やはり、思います。


一番、注意しないといけないのは、”自分の想い”だけしか見えなくなって、その想いを相手に押し付けようとして、無神経にぶつけてしまって、相手を傷つけ、結局、お互いに傷つけあってしまうこと。


”相手を思いやって贈る言葉やモノ”は、結果として、”相手を幸せな気持ちにして、笑顔を誘うもの”であってほしいから。

”心を込めて、想いを込めて、どんなモノ”を選ぶのか...ということと同様に、”なにげない、さりげない言葉の中に、どんな想いがこもっているのか”ということって、実は、とても大切なことなのだろう...。


なんとなく、そんなことを思う、2015年の夏です。



タグ :思いやり

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Posted by Dreamer at 12:37 │日常の雑感