2017年08月16日
お盆休みの雑感 2017
今年のお盆休み前には、いろいろあって...。
そんな中での反省もあるし、その中から学んだこともある。
息子の帰京まで、後2日。
”滞在中に、少しでも彼に野菜料理を食べてもらおう”と、ずっと考えていたメニューの中で、彼からのウケが良かったものがあった。
それが、せめてもの収穫かな...。

そんな中での反省もあるし、その中から学んだこともある。
息子の帰京まで、後2日。
”滞在中に、少しでも彼に野菜料理を食べてもらおう”と、ずっと考えていたメニューの中で、彼からのウケが良かったものがあった。
それが、せめてもの収穫かな...。

お盆前に、義母が体調を崩して、検査入院。病院にて、安静に過ごした後、お盆直前に実家へ帰宅。
そして、お盆直前に、主人が夏風邪でダウン。(ほぼ同時期に、私にも夏風邪の症状が...。
お盆前の最終出勤後に、かなりひどくなって、とうとうお盆初日に私もダウン。)
そんな中で、息子がお盆で帰省してきた。
みんなそれぞれに、さまざまな想いはあっても、無理できるはずない。
”お盆の諸行事” ”息子が帰省した際に、行うはずだったこと” ”帰省を迎えるおもてなしのあれこれ”etc...
「どんなことがあっても、こうあるべきだ。」と誰かが無理をしだしたら、”こんな状態の自分ががんばってるのに...”と他の人にも同じことを求めてイライラして、その結果みんなが無理をせざるをえなくなって、イライラした気分が伝染していって、どんどん空気が険悪になっていく。
そんな悪循環の輪の中から、一抜けた。
「今の状況の私にできることは、ここまでです。それ以上の”理想”を求めるのならば、後は、よろしくお願いします。」
そう言って実行に移すのに、壁になるのは、”周囲の目”以上に、”保身を気にしていい子になりたい、自分自身の理想(良心?)”なのかもしれない。
結局、日常の家事も、誰かを迎えるおもてなしも、極端な話、介護についても、「理想」を追い出したらきりがないし、それぞれの人によって思い描く「理想像」は違う。
最近、ワイドショーで「一線を越える」というフレーズが話題になっているけれど、もっと大きな範疇の人間関係においても、”一線を引く”ことは、大切なことなのかもしれない。
自分自身のために、ひいては周囲の人たちのために、”一線を引いて、考え、行動する”こと。
まず、それをしっかり認識したうえで、自分自身のために、または誰かのために、(たとえ、後で”自己満足”だとか”おせっかい”だとか言われる結果になったとしても...)、あえて、”一線を越えて、考え、行動する”こと。
みんな、誰もが、すべての人間関係において、”見えない一線”を持っていて、無意識に、または意識的に、その一線を越えて踏み込んだり、躊躇したり、一抜けたしたり、している。
そして、あらゆるすべての人間関係において(その相手が、ご先祖様でも、親子でも、友人知人や同僚であったとしても)その”見えない一線”に対する距離感への一番大切な基本は、相手に対する自分自身の”心からの想い”なんだろうな...と、思うのです。

お盆時期より、ちょっと早めに訪れて
お掃除をして、お墓参りをすませていました。
お盆初日には、実家のお仏壇に
ご挨拶に伺いました。
息子が帰省してきてからは、実家で私が寝込むわけにはいかないので、自宅で休養しながら自分のペースで家事をして、主人と息子が実家を訪れる際に、作っておいたお惣菜や、用意しておいたくだものやお届け物を託して、私は自宅で過ごしたお盆期間でした。
お盆休み明けには、体調を整えて、元気に職場へ行けるように。
息子が関東へ帰っていくまで、少しでも野菜たっぷりの手作りメニューを、私らしいおふくろの味のメニューを、食卓に並べてあげられるように。
今日も、自分のペースで、過ごしたいと思います。
”ありがとうございます。”と、感謝の想いと共に...。
そして、お盆直前に、主人が夏風邪でダウン。(ほぼ同時期に、私にも夏風邪の症状が...。

そんな中で、息子がお盆で帰省してきた。
みんなそれぞれに、さまざまな想いはあっても、無理できるはずない。
”お盆の諸行事” ”息子が帰省した際に、行うはずだったこと” ”帰省を迎えるおもてなしのあれこれ”etc...
「どんなことがあっても、こうあるべきだ。」と誰かが無理をしだしたら、”こんな状態の自分ががんばってるのに...”と他の人にも同じことを求めてイライラして、その結果みんなが無理をせざるをえなくなって、イライラした気分が伝染していって、どんどん空気が険悪になっていく。
そんな悪循環の輪の中から、一抜けた。
「今の状況の私にできることは、ここまでです。それ以上の”理想”を求めるのならば、後は、よろしくお願いします。」
そう言って実行に移すのに、壁になるのは、”周囲の目”以上に、”保身を気にしていい子になりたい、自分自身の理想(良心?)”なのかもしれない。
結局、日常の家事も、誰かを迎えるおもてなしも、極端な話、介護についても、「理想」を追い出したらきりがないし、それぞれの人によって思い描く「理想像」は違う。
最近、ワイドショーで「一線を越える」というフレーズが話題になっているけれど、もっと大きな範疇の人間関係においても、”一線を引く”ことは、大切なことなのかもしれない。
自分自身のために、ひいては周囲の人たちのために、”一線を引いて、考え、行動する”こと。
まず、それをしっかり認識したうえで、自分自身のために、または誰かのために、(たとえ、後で”自己満足”だとか”おせっかい”だとか言われる結果になったとしても...)、あえて、”一線を越えて、考え、行動する”こと。
みんな、誰もが、すべての人間関係において、”見えない一線”を持っていて、無意識に、または意識的に、その一線を越えて踏み込んだり、躊躇したり、一抜けたしたり、している。
そして、あらゆるすべての人間関係において(その相手が、ご先祖様でも、親子でも、友人知人や同僚であったとしても)その”見えない一線”に対する距離感への一番大切な基本は、相手に対する自分自身の”心からの想い”なんだろうな...と、思うのです。

お盆時期より、ちょっと早めに訪れて
お掃除をして、お墓参りをすませていました。
お盆初日には、実家のお仏壇に
ご挨拶に伺いました。
息子が帰省してきてからは、実家で私が寝込むわけにはいかないので、自宅で休養しながら自分のペースで家事をして、主人と息子が実家を訪れる際に、作っておいたお惣菜や、用意しておいたくだものやお届け物を託して、私は自宅で過ごしたお盆期間でした。
お盆休み明けには、体調を整えて、元気に職場へ行けるように。
息子が関東へ帰っていくまで、少しでも野菜たっぷりの手作りメニューを、私らしいおふくろの味のメニューを、食卓に並べてあげられるように。
今日も、自分のペースで、過ごしたいと思います。
”ありがとうございます。”と、感謝の想いと共に...。
Posted by Dreamer at 08:55
│日常の雑感