2015年09月29日
湯快リゾート 輝の湯 (9/23:岡山)
この日、宿泊した湯快リゾート輝の湯。予定時間より早めの到着となりましたが、すぐにチェックインして、部屋でゆっくりくつろぐことが出来ました。
バイキングコーナーには、いろいろなお惣菜やサラダなどもあったんですが、蟹を食べるのに忙しいので、お寿司やお刺身をみんなの分いただいてきてあいまにつまんで、釜飯をいただいて蟹をのっけたり、卓上コンロでひとりぶんずつ炊くラーメンがおいしそうで...と、ふだんの”夜は炭水化物を控える”というマイルールはどこにいったんだろう...って感じの夕食でしたね...。
朝食バイキングから。
到着した日は義母がお疲れ気味だったので、夕食後、館内で少しカラオケを楽しんだり、温泉に入ったりして過ごし、”できれば、翌朝に湯原温泉街の散策や砂湯へも行ってみよう。”と言っていたのですが、あいにく、その日の夜から雨が降りだしたので、朝食後もお部屋でのんびりした後、湯原温泉を後にして出発しました。
いつの日か、また、湯原温泉観光へ訪れたいなと思っています。
<湯快リゾート 輝の湯の所在地>
◇岡山県真庭市豊栄1429-2
香住蟹の食べ放題もついた、
夕食バイキング。
夕食バイキング。
バイキングコーナーには、いろいろなお惣菜やサラダなどもあったんですが、蟹を食べるのに忙しいので、お寿司やお刺身をみんなの分いただいてきてあいまにつまんで、釜飯をいただいて蟹をのっけたり、卓上コンロでひとりぶんずつ炊くラーメンがおいしそうで...と、ふだんの”夜は炭水化物を控える”というマイルールはどこにいったんだろう...って感じの夕食でしたね...。
朝食バイキングから。
到着した日は義母がお疲れ気味だったので、夕食後、館内で少しカラオケを楽しんだり、温泉に入ったりして過ごし、”できれば、翌朝に湯原温泉街の散策や砂湯へも行ってみよう。”と言っていたのですが、あいにく、その日の夜から雨が降りだしたので、朝食後もお部屋でのんびりした後、湯原温泉を後にして出発しました。
いつの日か、また、湯原温泉観光へ訪れたいなと思っています。
<湯快リゾート 輝の湯の所在地>
◇岡山県真庭市豊栄1429-2
「(義父)が旅行や外食が好きではなかったので、私は長年ずっと我慢を重ねてきた。」と言われる義母は、義父を看取られた後、おひとりでもツアーに参加して海外旅行に出かけられたり、義母の姉である伯母と共にあちこち旅行に出られたり、伯母ご夫妻に誘っていただいてドライブに出かけられたり、おひとり様の自由な日々を満喫してこられていたのですが、義父の13回忌を終えた後、伯母がだんだん弱っていかれるにつれて義母も徐々に気弱になられて、楽しみにしていた旅行にも参加されなくなっていっていました。
今回宿泊したこの輝の湯を教えてくださった職場の上司であるHさんは、本家を守る当主として先祖代々の家屋敷や田畑を守りつつ、私よりもひと世代上の年代の方でありながら今も現役でお仕事をされ、ご自身のお母さまからお孫さんまで4世代同居の家を守っておられます。
そんなHさんがおっしゃる言葉は、ご自身が背負い、守り続けておられる歴史の分だけ重く感じて、仕事を終えた後や、休憩に入る前などにいろいろお話させていただいていることに、いつも私は心から感謝しています。
現在、90歳を超えたお母さまがお元気で曾孫の保育園や幼稚園の運動会の敬老席への参加が出来たり、曾孫のかくれんぼの相手をしたりなどができるために、HさんやHさんの奥様、Hさんのご長男ご夫妻がどんなお心遣いをされているのかということ。
そんな、なにげないお話の数々に、私は、いつも学ぶことが多いです。
そして、私がかつて主人の実家で同居して、阪神淡路大震災の後、身体を壊して別居したいきさつをご存じのHさんは、基本的に私を責めることなく、気遣いつつ、いろいろなアドバイスをくださいます。
神戸の大学へ進学した息子が、主人の実家へ下宿して通学するようになった時、「たぶん、みんなにとって、良かった。」と言ってくださったのも、Hさんでした。
「うちのおふくろが弱りだした頃、長男を呼び戻して、曾孫と同居するようになってから、おふくろの眼が変わって、元気になった。もちろん、(現在も専門職として仕事を続けておられる)家内も、長男も、長男の嫁も、みんながいろいろ同居生活の中で気遣う必要があって、大変なのはわかっているから、そんなみんなを気遣うことが家長としての役割だから。」と笑って語られるHさんを、私は心から尊敬しています。
『 真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
― マルセル・プルースト ― 』
今回宿泊したこの輝の湯を教えてくださった職場の上司であるHさんは、本家を守る当主として先祖代々の家屋敷や田畑を守りつつ、私よりもひと世代上の年代の方でありながら今も現役でお仕事をされ、ご自身のお母さまからお孫さんまで4世代同居の家を守っておられます。
そんなHさんがおっしゃる言葉は、ご自身が背負い、守り続けておられる歴史の分だけ重く感じて、仕事を終えた後や、休憩に入る前などにいろいろお話させていただいていることに、いつも私は心から感謝しています。
現在、90歳を超えたお母さまがお元気で曾孫の保育園や幼稚園の運動会の敬老席への参加が出来たり、曾孫のかくれんぼの相手をしたりなどができるために、HさんやHさんの奥様、Hさんのご長男ご夫妻がどんなお心遣いをされているのかということ。
そんな、なにげないお話の数々に、私は、いつも学ぶことが多いです。
そして、私がかつて主人の実家で同居して、阪神淡路大震災の後、身体を壊して別居したいきさつをご存じのHさんは、基本的に私を責めることなく、気遣いつつ、いろいろなアドバイスをくださいます。
神戸の大学へ進学した息子が、主人の実家へ下宿して通学するようになった時、「たぶん、みんなにとって、良かった。」と言ってくださったのも、Hさんでした。
「うちのおふくろが弱りだした頃、長男を呼び戻して、曾孫と同居するようになってから、おふくろの眼が変わって、元気になった。もちろん、(現在も専門職として仕事を続けておられる)家内も、長男も、長男の嫁も、みんながいろいろ同居生活の中で気遣う必要があって、大変なのはわかっているから、そんなみんなを気遣うことが家長としての役割だから。」と笑って語られるHさんを、私は心から尊敬しています。
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
― マルセル・プルースト ― 』
Posted by Dreamer at 13:25
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