2017年01月16日
”発見の旅”に関する雑感
昨年12月のお遍路の旅も10月と同様に、”主人が車で香川県へ出かける
所用の予定にあわせて、義母と私も同行して、移動日に立ち寄れるところへお参りしよう”ということから決まったのですが...。
”年末に向けて職場が忙しいし、いろいろ慌ただしくて体調管理が難しいし...”と、同行して出かけることに、最初は正直言うと私は、躊躇していました。
出かけることが決まってからも、主人と別行動となる中日に、義母をご案内する高松市内での観光先を考えようとしても、10月に栗林公園に行ったばかりだし、2人で観光して歩くというより、その日はのんびり過ごせたらいいんだけど、義母を退屈させるわけにはいかないし...と、スケジュールを組むうえで、かなり悩んでいました。
その結果、車遍路で乱れ打ちの我家が無理なく移動できる順路で移動日に各札所に立ち寄って、往路には早めに現地入りし、帰路にも早めに義母を実家へお送りできるペースで考えており、中日には義母と私2人でも電車で訪れることができる長尾寺参拝のみを予定して、後は現地で考えようと思って、出発。
その時は、まさか、ふだんは「病は気から」というのが信念のように、「多少の体調不良は、動いているうちに治る」と言っておられる義母が旅先で、めったにかからない風邪でダウンされるとは、想像もしていませんでした。
全く自慢にはならないけれど、若い時から無理しすぎるとすぐにダウンしていた私は、”元気な時には自分が出来る範囲で精一杯頑張るけれど、これ以上頑張るとまずいかもしれない...”と思った時には早めにペースを抑えるクセがあって、そんな自分がなさけないと思いつつも、そんな自分とつきあって、ずっと今まで生きてきました。
そんな私の姿は、義母のようなタイプの方には軟弱者で、怠け者にしか映らなかっただろうと、自分でも思います。
でも、旅先で、おもてなしし気遣うべき方(義母)がダウンされた時、”無理しないためには、どうしよう...どうしたらいいのかな...”と考えるのは、私がある意味”軟弱者”だからこその得意分野で...。
中日には、出来るだけ体力を温存していただきながら、休憩しながら、予定通りの長尾寺参拝に訪れ、最終日には風邪薬が効いてかなり体調が復活されているのを確認したうえで、長い階段が続くようなハードな札所は駐車場の車の中で休んでいただくことにして、帰路に予定していた参拝をすべて終えて、帰宅することが出来ました。
無事に実家に到着して、主人に「今回は、すっかり、迷惑をかけた...」と落ち込んでおられた義母に、「予定通りのすべての参拝を終えて、帰って来れたじゃないですか。」と励ますように笑顔で言えたのも、私自身が落ち込みやすい人間だからなのだと、思います。
自分が弱っている時に無理して頑張るより、そういう時にはペースダウンして、でも、その時に自分が出来る範囲で出来ることを細々とでも積み上げていきたい。
そして、復活して元気になった時には、ここまで出来るかな...と思う、自分の限界を少しづつ超えていくことに、チャレンジしていきたい。
たぶん、それが、私らしい生き方なんだろうな...と、思うのです。


”年末に向けて職場が忙しいし、いろいろ慌ただしくて体調管理が難しいし...”と、同行して出かけることに、最初は正直言うと私は、躊躇していました。
出かけることが決まってからも、主人と別行動となる中日に、義母をご案内する高松市内での観光先を考えようとしても、10月に栗林公園に行ったばかりだし、2人で観光して歩くというより、その日はのんびり過ごせたらいいんだけど、義母を退屈させるわけにはいかないし...と、スケジュールを組むうえで、かなり悩んでいました。
その結果、車遍路で乱れ打ちの我家が無理なく移動できる順路で移動日に各札所に立ち寄って、往路には早めに現地入りし、帰路にも早めに義母を実家へお送りできるペースで考えており、中日には義母と私2人でも電車で訪れることができる長尾寺参拝のみを予定して、後は現地で考えようと思って、出発。
その時は、まさか、ふだんは「病は気から」というのが信念のように、「多少の体調不良は、動いているうちに治る」と言っておられる義母が旅先で、めったにかからない風邪でダウンされるとは、想像もしていませんでした。
全く自慢にはならないけれど、若い時から無理しすぎるとすぐにダウンしていた私は、”元気な時には自分が出来る範囲で精一杯頑張るけれど、これ以上頑張るとまずいかもしれない...”と思った時には早めにペースを抑えるクセがあって、そんな自分がなさけないと思いつつも、そんな自分とつきあって、ずっと今まで生きてきました。
そんな私の姿は、義母のようなタイプの方には軟弱者で、怠け者にしか映らなかっただろうと、自分でも思います。
でも、旅先で、おもてなしし気遣うべき方(義母)がダウンされた時、”無理しないためには、どうしよう...どうしたらいいのかな...”と考えるのは、私がある意味”軟弱者”だからこその得意分野で...。

中日には、出来るだけ体力を温存していただきながら、休憩しながら、予定通りの長尾寺参拝に訪れ、最終日には風邪薬が効いてかなり体調が復活されているのを確認したうえで、長い階段が続くようなハードな札所は駐車場の車の中で休んでいただくことにして、帰路に予定していた参拝をすべて終えて、帰宅することが出来ました。
無事に実家に到着して、主人に「今回は、すっかり、迷惑をかけた...」と落ち込んでおられた義母に、「予定通りのすべての参拝を終えて、帰って来れたじゃないですか。」と励ますように笑顔で言えたのも、私自身が落ち込みやすい人間だからなのだと、思います。
自分が弱っている時に無理して頑張るより、そういう時にはペースダウンして、でも、その時に自分が出来る範囲で出来ることを細々とでも積み上げていきたい。
そして、復活して元気になった時には、ここまで出来るかな...と思う、自分の限界を少しづつ超えていくことに、チャレンジしていきたい。
たぶん、それが、私らしい生き方なんだろうな...と、思うのです。

『 真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
― マルセル・プルースト ― 』
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
― マルセル・プルースト ― 』
昨年末に書いて、ずっと下書きのままだった雑感
です。
”性格が違うと、あたりまえに考えることが違う。”
それは単純なことなのだけれど、人間関係において、意外と盲点になっていることが多いのかもしれないと、思います。
同じ言動でも、それをどうとらえるのかは、そのひとの感覚や考え方で判断される。
私の言動が他者にどうとらえられて、どう受け取られるのか、それはその相手自身の思考によるものになってしまう。
時には、私には思ってもいない発想で伝わっているかもしれない。
でも、それは、私にとっても同様で、私の判断が、私の受けとめ方が必ずしも正しいとは限らない。
私生活で、仕事において、いろいろな人間関係の中で頭を打つたびに、悩んだり、驚いたりしながら、その葛藤のうちにさえも学び、新しい視点を得たことに感謝できるような、そんな自分でいたい。
苦悩の中で落ち込んで、そこで終わりじゃなくて、そこから何かを発見して、もっといろんな視点で発想ができるようになる自分であるように、努力していたい。
発見の旅は、旅先だけの問題なんじゃなくて、日々の日常にもあるのだと、そう、思います。

”性格が違うと、あたりまえに考えることが違う。”
それは単純なことなのだけれど、人間関係において、意外と盲点になっていることが多いのかもしれないと、思います。
同じ言動でも、それをどうとらえるのかは、そのひとの感覚や考え方で判断される。
私の言動が他者にどうとらえられて、どう受け取られるのか、それはその相手自身の思考によるものになってしまう。
時には、私には思ってもいない発想で伝わっているかもしれない。
でも、それは、私にとっても同様で、私の判断が、私の受けとめ方が必ずしも正しいとは限らない。
私生活で、仕事において、いろいろな人間関係の中で頭を打つたびに、悩んだり、驚いたりしながら、その葛藤のうちにさえも学び、新しい視点を得たことに感謝できるような、そんな自分でいたい。
苦悩の中で落ち込んで、そこで終わりじゃなくて、そこから何かを発見して、もっといろんな視点で発想ができるようになる自分であるように、努力していたい。
発見の旅は、旅先だけの問題なんじゃなくて、日々の日常にもあるのだと、そう、思います。
Posted by Dreamer at 07:10
│日常の雑感