2017年01月27日
初心に戻るということ
2月2日は夫婦の日だと、先日、新聞のコラムに載っていました。
11月22日の”いい夫婦”の日はマスコミなどで大きく取り上げられるけれど、2月2日だけでなく、毎月22日も”夫婦の日”なんだそうです。
「性格が違うし、考え方も違うから、コミュニケーションが難しくて、時にはケンカもし、お互いに我慢することがあるのは、社会生活における人間関係だけでなく、家庭の中でも同じ。長年連れ添ってきた夫婦でも、そうなんだから。」と、職場のコミュニケーションで悩んだ時、ふと私がもらしてしまった弱音に、上司が言ってくださった言葉です。
現在も、ご自身のお母様からお孫さんまで4世代同居をされている方の言葉ですから、深くて、重みがあります。
私もまた、結婚してすぐから主人の実家に入って、3世代同居を経験し、阪神淡路大震災の後、実家を出て別世帯となった身ですから、心に沁みるものがあります。
”私たちには、いわゆる、ふつうの2人だけの新婚生活って、なかったんだな...。”と気がついたのは、息子が大学生になって実家に下宿するようになって、主人と2人だけの生活にようやく慣れてきた頃だったような気がします。
自信を持って”いい夫婦”とは言えないかもしれないけれど、20数年一緒に過ごしてきた夫婦ですから、いまだにお互いに我慢することがあったとしても、ほかの誰よりもお互いのいいところを一番よく知っていて、お互いの長所も短所もひっくるめて、理解し、理解されているのだろうと思います。
昨年10月から始めたお遍路の旅。

主人と一緒に巡る旅は、今後の人生を考え、見つめる旅なのかもしれません。
11月22日の”いい夫婦”の日はマスコミなどで大きく取り上げられるけれど、2月2日だけでなく、毎月22日も”夫婦の日”なんだそうです。
「性格が違うし、考え方も違うから、コミュニケーションが難しくて、時にはケンカもし、お互いに我慢することがあるのは、社会生活における人間関係だけでなく、家庭の中でも同じ。長年連れ添ってきた夫婦でも、そうなんだから。」と、職場のコミュニケーションで悩んだ時、ふと私がもらしてしまった弱音に、上司が言ってくださった言葉です。
現在も、ご自身のお母様からお孫さんまで4世代同居をされている方の言葉ですから、深くて、重みがあります。
私もまた、結婚してすぐから主人の実家に入って、3世代同居を経験し、阪神淡路大震災の後、実家を出て別世帯となった身ですから、心に沁みるものがあります。
”私たちには、いわゆる、ふつうの2人だけの新婚生活って、なかったんだな...。”と気がついたのは、息子が大学生になって実家に下宿するようになって、主人と2人だけの生活にようやく慣れてきた頃だったような気がします。
自信を持って”いい夫婦”とは言えないかもしれないけれど、20数年一緒に過ごしてきた夫婦ですから、いまだにお互いに我慢することがあったとしても、ほかの誰よりもお互いのいいところを一番よく知っていて、お互いの長所も短所もひっくるめて、理解し、理解されているのだろうと思います。
昨年10月から始めたお遍路の旅。

主人と一緒に巡る旅は、今後の人生を考え、見つめる旅なのかもしれません。
いつの頃からか、誰かに対して、怒りそうになった時、”そういう感情を持っている自分って、傲慢なんじゃないの?”と、どこかで、冷静に問いかけている自分がいるのに気がつきました。
そして、”怒り”という感情を持とうとしている”自分の自己中心な視点”を理解できるようになって、逆に、別の場面では、自分に対して”怒り”の感情をぶつけてくる”相手側の視点の存在”があることを理解できるようになりました。
私にも、私なりに正しいと信じる視点があるように、他の人達にもその人達なりに正しいと信じる視点がある。
それぞれの性格、それぞれの考え方が違うのだから、どちらの視点が正しいとは一概に言えない。
そんな中で、意見をすり合わせる必要がある場合に、お互いに相手を説得しようとして自分の視点を押し付けようとすると、いつまでたっても平行線で、埒があかない。
そんな状況で、ケンカすることって、すごく無意味なことなのかもしれない。
”違う視点を持つ他者の視点を、考え方を、価値感を、認める”ということは、”自分が一方的に我慢して、あきらめる”ことでもなければ、”ある意味で傲慢な自分が、上から目線で相手を許す”ことでもなくて。
”適度な距離感を保って行う、冷静な意見交換”という形でのケンカの後、お互いが納得する結論が出るかもしれないし、残念だけれど、歩み寄れない考え方の違いの分だけ、お互いのために、距離を広げた方がいいという結果になるかもしれない。
たとえ親子でも、夫婦でも、”お互いを認めあう”ということが、円満なコミュニケーションの基本なんだろうな...と、思うのです。
そして、”怒り”という感情を持とうとしている”自分の自己中心な視点”を理解できるようになって、逆に、別の場面では、自分に対して”怒り”の感情をぶつけてくる”相手側の視点の存在”があることを理解できるようになりました。
私にも、私なりに正しいと信じる視点があるように、他の人達にもその人達なりに正しいと信じる視点がある。
それぞれの性格、それぞれの考え方が違うのだから、どちらの視点が正しいとは一概に言えない。
そんな中で、意見をすり合わせる必要がある場合に、お互いに相手を説得しようとして自分の視点を押し付けようとすると、いつまでたっても平行線で、埒があかない。
そんな状況で、ケンカすることって、すごく無意味なことなのかもしれない。
”違う視点を持つ他者の視点を、考え方を、価値感を、認める”ということは、”自分が一方的に我慢して、あきらめる”ことでもなければ、”ある意味で傲慢な自分が、上から目線で相手を許す”ことでもなくて。
”適度な距離感を保って行う、冷静な意見交換”という形でのケンカの後、お互いが納得する結論が出るかもしれないし、残念だけれど、歩み寄れない考え方の違いの分だけ、お互いのために、距離を広げた方がいいという結果になるかもしれない。
たとえ親子でも、夫婦でも、”お互いを認めあう”ということが、円満なコミュニケーションの基本なんだろうな...と、思うのです。
Posted by Dreamer at 06:23
│日常の雑感