2012年10月16日
断捨離 ~苦手な事に、むきあうこと~
”苦手なことに、むきあうこと”は、すごく難しいものです。
ずっと課題だった、”断捨離”。先週末、ようやく衣服の整理にも一歩踏み出しました。
たとえば、ずっと昔のお気に入りで、今やデザインも古くなっていて、私自身のウエストもすでにきつくなっているけれど、大切にしてきたので、まったく傷んでいないきれいなままのお出かけ着。
これを処分してしまうと、なんだか”あの頃の私”を失ってしまうようで、思い出の象徴として、どうしても手放せない。
でも、けっして広くない我家に保管しておこうとすると、その分のスペースが失われて、結局、今現在必要とするもののための場所がなく、なかなか新しいものを買えない...つまり、フォーマルな場面に直面すると、「着ていける服がない。」とあわてることになる。
たぶん、若い頃はほとんど体型が変わらなかったし、結婚しても、たとえ子供を産んでも、すぐに体型が元に戻って、そんなお気に入りの服を着ることができる状態だったから、”今、現実にいる、その服を着ることができない体型の私”を、意識のどこかで認めたくない思いがあるのだろうと、思う。
しかも、もともとファッションとかおしゃれにあまり興味がなく、10代の頃の”服飾関係におこずかいを使うより、本やレコードを買う方がいい。”という価値観と性格のまま、ここまで生きてしまったので、ずいぶん長い間、自分のために買ったのは、職場に着ていく服か、動きやすい普段着ばかりで、しかも、あれこれ考えなくていいように、自分が気にいるタイプの似たようなデザイン、同じような色をそろえてしまう傾向があった。
そのうえ、私と対照的に服飾関係のものを買うのがお好きな義母から、「小さくなったから。」とか、「買ったけど、合わなかったから。」と勧められて、お断りする勇気がなくいただいた服の数々でお出かけ着のスペースが埋まっていても、いざという時に、私自身が着ていけるものは少なくて、それらを処分する根性もないという、さながら悪循環のループに迷い込んだ状態。
これって、衣服だけの問題ではなく、自分の身のまわりにあるすべてのことに通じていることなのだろうけれど...。

現実があって、理想がある。どこまで夢を実現できるのか。
どの部分にこだわりを持って、どの部分を妥協していくのか。
背伸びして無理をすることなく、でも、ある程度の自分のこだわりは大切にしたい。
現実と、自分のこだわり(=理想)との妥協点を模索して、納得できるところを見い出すことが出来た時、それがたとえ自己満足であったとしても、自分の気持ちのうえで充分足りるものであったとしたら、いわゆる、”衣食住足りて礼節を知る (”倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る”)”ということにもつながっている...ということなのかもしれないと、自分に言い聞かせつつ...。

「ダイエットしなくちゃ・・・。」と言いながら、ついつい、おいしいランチに出かけたり、魅力的なお菓子に出会ってしまうと、”いろいろお味見してみたい。”という誘惑に負けてしまいがちですが...。
魅力的なお店の情報を調べておいて、”おいしいものを食べること”が好きで、ある意味、それが人生の楽しみのひとつであり、さまざまなストレス解消にもなっている主人と共に、いろいろなお店に出かけて、そこでそれぞれのお店の魅力であるシェフの工夫や思いが詰まった作品を味わって、こだわりの旬の素材や満足を感じさせる盛り付け等に出会うこと、一緒に出かけた家族が、どんなものを喜んで味わっているのかを知ることは、それもまた、私の苦手な毎日の献立づくりにむきあうための”学び”のうちなのだと、ちゃんと自覚して、ふだんのおうちごはんづくりにフィードバックして、むかいあっていかないといけない課題です。

”取捨選択” ”自己管理” ... 苦手な事にむきあっていると、試行錯誤ばかりが続いて、結果がなかなか出ないものだけれど。
少しずつ、少しずつ、積み重ねていくことで、いつかは、”苦手意識”という大きな壁を乗り越えることができると信じて、試行錯誤し続けていくしかないのでしょうね。。。
<断捨離への道のり 関係 過去ログ>
・ときめくものを残すこと ~断捨離への道のり~ (2011.6.23)
・ときめくものを残すこと ~断捨離への道のり -2 (2011.10.6)
・我家のリフォーム☆ビフォーアフター 2012 -1 (2012.2.5)
・我家のリフォーム☆ビフォーアフター 2012 -2 (2012.2.6)

ずっと課題だった、”断捨離”。先週末、ようやく衣服の整理にも一歩踏み出しました。

たとえば、ずっと昔のお気に入りで、今やデザインも古くなっていて、私自身のウエストもすでにきつくなっているけれど、大切にしてきたので、まったく傷んでいないきれいなままのお出かけ着。
これを処分してしまうと、なんだか”あの頃の私”を失ってしまうようで、思い出の象徴として、どうしても手放せない。
でも、けっして広くない我家に保管しておこうとすると、その分のスペースが失われて、結局、今現在必要とするもののための場所がなく、なかなか新しいものを買えない...つまり、フォーマルな場面に直面すると、「着ていける服がない。」とあわてることになる。
たぶん、若い頃はほとんど体型が変わらなかったし、結婚しても、たとえ子供を産んでも、すぐに体型が元に戻って、そんなお気に入りの服を着ることができる状態だったから、”今、現実にいる、その服を着ることができない体型の私”を、意識のどこかで認めたくない思いがあるのだろうと、思う。
しかも、もともとファッションとかおしゃれにあまり興味がなく、10代の頃の”服飾関係におこずかいを使うより、本やレコードを買う方がいい。”という価値観と性格のまま、ここまで生きてしまったので、ずいぶん長い間、自分のために買ったのは、職場に着ていく服か、動きやすい普段着ばかりで、しかも、あれこれ考えなくていいように、自分が気にいるタイプの似たようなデザイン、同じような色をそろえてしまう傾向があった。
そのうえ、私と対照的に服飾関係のものを買うのがお好きな義母から、「小さくなったから。」とか、「買ったけど、合わなかったから。」と勧められて、お断りする勇気がなくいただいた服の数々でお出かけ着のスペースが埋まっていても、いざという時に、私自身が着ていけるものは少なくて、それらを処分する根性もないという、さながら悪循環のループに迷い込んだ状態。

これって、衣服だけの問題ではなく、自分の身のまわりにあるすべてのことに通じていることなのだろうけれど...。


現実があって、理想がある。どこまで夢を実現できるのか。
どの部分にこだわりを持って、どの部分を妥協していくのか。
背伸びして無理をすることなく、でも、ある程度の自分のこだわりは大切にしたい。
現実と、自分のこだわり(=理想)との妥協点を模索して、納得できるところを見い出すことが出来た時、それがたとえ自己満足であったとしても、自分の気持ちのうえで充分足りるものであったとしたら、いわゆる、”衣食住足りて礼節を知る (”倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る”)”ということにもつながっている...ということなのかもしれないと、自分に言い聞かせつつ...。


「ダイエットしなくちゃ・・・。」と言いながら、ついつい、おいしいランチに出かけたり、魅力的なお菓子に出会ってしまうと、”いろいろお味見してみたい。”という誘惑に負けてしまいがちですが...。

魅力的なお店の情報を調べておいて、”おいしいものを食べること”が好きで、ある意味、それが人生の楽しみのひとつであり、さまざまなストレス解消にもなっている主人と共に、いろいろなお店に出かけて、そこでそれぞれのお店の魅力であるシェフの工夫や思いが詰まった作品を味わって、こだわりの旬の素材や満足を感じさせる盛り付け等に出会うこと、一緒に出かけた家族が、どんなものを喜んで味わっているのかを知ることは、それもまた、私の苦手な毎日の献立づくりにむきあうための”学び”のうちなのだと、ちゃんと自覚して、ふだんのおうちごはんづくりにフィードバックして、むかいあっていかないといけない課題です。

”取捨選択” ”自己管理” ... 苦手な事にむきあっていると、試行錯誤ばかりが続いて、結果がなかなか出ないものだけれど。
少しずつ、少しずつ、積み重ねていくことで、いつかは、”苦手意識”という大きな壁を乗り越えることができると信じて、試行錯誤し続けていくしかないのでしょうね。。。
<断捨離への道のり 関係 過去ログ>
・ときめくものを残すこと ~断捨離への道のり~ (2011.6.23)
・ときめくものを残すこと ~断捨離への道のり -2 (2011.10.6)
・我家のリフォーム☆ビフォーアフター 2012 -1 (2012.2.5)
・我家のリフォーム☆ビフォーアフター 2012 -2 (2012.2.6)
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今年初夏のアクシデントの結果、以前の車を処分することになって、この秋に新しい車になりました。
”停止していたわけじゃなく、こちらも動いていた以上、1割の責任がある。”と決着した後も、アクシデント発生の際に助手席で一番ダメージを受けていた私は、この夏、車に乗るのはもちろん、実は、外出するのすら最初は怖かった。
それでも、無理をせずにぼちぼち職場で仕事をし、日常生活をこなし、少しずつ、そんな自分の弱さともいえるトラウマを乗り越える努力をし続けていました。
結局、主人が選んだ新車は納車まで1ヶ月以上待たされるということで、車のない生活を余儀なくされたこの夏の期間は、私にとって、少しずつ”心の社会復帰”をするにはちょうどいいペースだったような気がします。
そして、納車から1ヶ月。
車がなかったこの夏を取り戻すかのように、休日のたびに気分転換ドライブに出かけようとする主人につきあって、かなり、いろいろなところへ車で遠出できるようになりました。
新しい車に慣れるため、主人は今まで以上にエコ運転を心がけるようになったので、今では助手席に乗っていても、そんなに怖さは感じません。
ただ、あいかわらず、渋滞して車が混雑している状況は苦手だし、今もまだ、アクシデントにあった現場周辺地域に近づくことができないままです。
こういったことも、少しずつ少しずつ、ゆっくりと乗り越えていかないといけない、自分自身の”心の壁”なのだと、思います。
”苦手なことにむきあって、それを乗り越えていくこと。”
そのためには、”苦手意識”という先入観を排除して、その中に、なんとかして、自分にとっての”楽しみ”とか”喜び”につながるものを見出して、時間をかけてゆっくりと、自分自身を変革していくことが必要なのでしょう。
”取捨選択”と”自己管理”
子供の頃や若い時代より、むしろ、年を重ねた分だけ、それらの課題の重さが増して、難しくなっているのかもしれないと、思います。
*******************************
”断捨離”に関する過去ログを、読み返してみて、気がついたこと。
今回のアクシデントの際、すぐに電話をかけた時に、励ましの言葉と共に対応についてのアドバイスをいただいたKさんには、その後も私の体調を気遣って、いろいろ温かいお気遣いをいただきました。
レッカー移動で運ばれた以前の車を見て、「連絡を受けた時の想像以上に、大きなアクシデントだったんですね・・・。」とびっくりされていた担当のHさんと主人が独身時代からお世話になっている営業所のみなさまにもいろいろご配慮いただき、廃車から新車納入に至るまで、本当にお世話になりました。
想定外の事態に陥った時、うろたえてしまって、どうしようもない時に、なにげなく、自然体でフォローしてくださる方々がいる。
それは、本当に、心からありがたいことだと、感謝しています。
そして、その感謝の気持ちが身にしみる分だけ、私もまたそういう形で、なにげなく、自然体で誰かをフォローできる自分自身でいなければならないのだと、痛感しています。
”仕事をする”ということは、その対価として自分自身が報酬を得るのみにとどまらず、その結果によって、誰かのために役立つものであり、支払っていただく対価以上の何かをお返しし感謝していただけるものでないといけないということは、本当に、ハードルの高いことですから。。。
今年初夏のアクシデントの結果、以前の車を処分することになって、この秋に新しい車になりました。
”停止していたわけじゃなく、こちらも動いていた以上、1割の責任がある。”と決着した後も、アクシデント発生の際に助手席で一番ダメージを受けていた私は、この夏、車に乗るのはもちろん、実は、外出するのすら最初は怖かった。
それでも、無理をせずにぼちぼち職場で仕事をし、日常生活をこなし、少しずつ、そんな自分の弱さともいえるトラウマを乗り越える努力をし続けていました。
結局、主人が選んだ新車は納車まで1ヶ月以上待たされるということで、車のない生活を余儀なくされたこの夏の期間は、私にとって、少しずつ”心の社会復帰”をするにはちょうどいいペースだったような気がします。
そして、納車から1ヶ月。
車がなかったこの夏を取り戻すかのように、休日のたびに気分転換ドライブに出かけようとする主人につきあって、かなり、いろいろなところへ車で遠出できるようになりました。
新しい車に慣れるため、主人は今まで以上にエコ運転を心がけるようになったので、今では助手席に乗っていても、そんなに怖さは感じません。
ただ、あいかわらず、渋滞して車が混雑している状況は苦手だし、今もまだ、アクシデントにあった現場周辺地域に近づくことができないままです。
こういったことも、少しずつ少しずつ、ゆっくりと乗り越えていかないといけない、自分自身の”心の壁”なのだと、思います。
”苦手なことにむきあって、それを乗り越えていくこと。”
そのためには、”苦手意識”という先入観を排除して、その中に、なんとかして、自分にとっての”楽しみ”とか”喜び”につながるものを見出して、時間をかけてゆっくりと、自分自身を変革していくことが必要なのでしょう。
”取捨選択”と”自己管理”
子供の頃や若い時代より、むしろ、年を重ねた分だけ、それらの課題の重さが増して、難しくなっているのかもしれないと、思います。
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”断捨離”に関する過去ログを、読み返してみて、気がついたこと。
今回のアクシデントの際、すぐに電話をかけた時に、励ましの言葉と共に対応についてのアドバイスをいただいたKさんには、その後も私の体調を気遣って、いろいろ温かいお気遣いをいただきました。
レッカー移動で運ばれた以前の車を見て、「連絡を受けた時の想像以上に、大きなアクシデントだったんですね・・・。」とびっくりされていた担当のHさんと主人が独身時代からお世話になっている営業所のみなさまにもいろいろご配慮いただき、廃車から新車納入に至るまで、本当にお世話になりました。
想定外の事態に陥った時、うろたえてしまって、どうしようもない時に、なにげなく、自然体でフォローしてくださる方々がいる。
それは、本当に、心からありがたいことだと、感謝しています。
そして、その感謝の気持ちが身にしみる分だけ、私もまたそういう形で、なにげなく、自然体で誰かをフォローできる自分自身でいなければならないのだと、痛感しています。
”仕事をする”ということは、その対価として自分自身が報酬を得るのみにとどまらず、その結果によって、誰かのために役立つものであり、支払っていただく対価以上の何かをお返しし感謝していただけるものでないといけないということは、本当に、ハードルの高いことですから。。。
タグ :断捨離
Posted by Dreamer at 07:49
│日常の雑感