2015年02月16日
”湯ったりのんびりできる場所”についての雑感 2015 -2
今月初め、急遽義母のお誕生日記念小旅行が決まって、いろいろ事前予約を取ったり、スケジュールを組んだりしていた時、こんな雑感を綴っていました。
今回の四国への小旅行を終えて、思うこと。
子供たちが小さい頃の休日イベントは、常に”子供たちを連れて行きたいところ”という発想と視点でお出かけ先を選んで楽しんでいたのだけれど、彼らがだんだん成長していくと、それに伴ってお出かけ先の対象が変化していって、中学生や高校生になってくると部活や学校行事や塾のスケジュールが優先されるようになっていき、大学生になると”親と一緒にお出かけする”ということ自体が少なくなってしまいました。
そして、子供が親離れした後、子離れを意識しながらあれこれ考えるようになった私の”自分自身が行きたいところ”という発想と視点でお出かけ先を選ぶようになると、「憩い」が大切な要因であると思うようになりました。
”誰かのために”と思っていたとしても、最終的に、”自分自身も満足できて、充実した休日だった”と思えなければ、どこかむなしいものが残るだけなのかもしれない...と。

職場の同僚は、昨年に突然お母様の病気が発覚して以来、年末に亡くなられるまで、献身的に闘病生活を支え続けておられました。
”自分の家庭や家族の事”と、”仕事”と、”実家関係の介護やお世話”のすべてを両立させていくには、完全にみんなが満足できるようなレベルを意識すると自分も周りもみんなが苦しくなるだけだから、出来るだけ無理をしないようにして、その時々に必要な優先順位を意識しながら、”自分が出来ること””自分自身がしたいと思うこと”を積み重ねていくしかない。
時折、彼女の話をうかがうたびに、数年前に私の父が倒れた時のことを思い出しながら、そんなふうに思い、語っていた日々でした。
たとえ自分自身を生んで育ててくれた実の親であっても、親元を離れて過ごした日々の分だけ、お互いに全く違う価値観があり、けっして譲れないこだわりがあり、無理をすれば、その分だけお互いに傷つけあうようなこともある。
昔、主人の実家での完全同居時代には、世間同様に嫁・姑関係に悩み、苦しんだこともあったけれど、当時幼かった子供たちが2人とも成人するまでの年月を経て、義母も私もすっかり年を取りました。
あいかわらず気丈でしっかりした(反面、気が強い性格だと自分でも言っておられる
)義母と、あいかわらず軟弱で頼りない(反面、穏やかな性格だと自分では思っている...
)私とでは、”相性が悪いのは今も変わらないけれど、お互いにそんな性格でここまで生きてきたのだから、たぶん、お互いに生涯を終えるまで、そのまま自分らしく生き続けていくのだろう。”と、思えるようになった分だけ、私も成長したのだろうと思います。
今回、旅先でカラオケ
をご一緒していた時に、さだまさしの「案山子」を歌い終わって、2年前の2月中旬、娘の家探しのために義母が東京へ一緒に行ってくださった時の思い出話をしていました。「あの時には、義母の気丈さに支えられて、感謝していました。」と、「ありがとうございました。」と、素直な気持ちを伝える私がいました。

その後、息子が大学入学に伴い下宿するようになって、実家へ食料品や日用品を届けたり、義母を買い物にお誘いしたりするため、できるだけ毎週末訪れるようになり、よく一緒に旅行に出かけておられた伯母を亡くされてからは、ふだん息子がお世話になっているお礼にと、気分転換の旅行にもお誘いするようになり...。
たぶん、今回の小旅行においても、「私が憩いを感じるもの」と「義母が憩いを感じられるもの」は全く違っていたのだろうけれど、お互い、”それぞれが楽しかったと思えるもの”を持ち帰ることが出来たなら、それはそれでいいんじゃないかな...と思います。
そして、また次の機会にもお誘いすると喜んでいただけるのであれば、”義母にも満足していただけるような憩いの旅”を計画することを楽しんでいる私がいるのだろう...と、思うのです。

『 真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
― マルセル・プルースト ― 』
今回の四国への小旅行を終えて、思うこと。
子供たちが小さい頃の休日イベントは、常に”子供たちを連れて行きたいところ”という発想と視点でお出かけ先を選んで楽しんでいたのだけれど、彼らがだんだん成長していくと、それに伴ってお出かけ先の対象が変化していって、中学生や高校生になってくると部活や学校行事や塾のスケジュールが優先されるようになっていき、大学生になると”親と一緒にお出かけする”ということ自体が少なくなってしまいました。
そして、子供が親離れした後、子離れを意識しながらあれこれ考えるようになった私の”自分自身が行きたいところ”という発想と視点でお出かけ先を選ぶようになると、「憩い」が大切な要因であると思うようになりました。
”誰かのために”と思っていたとしても、最終的に、”自分自身も満足できて、充実した休日だった”と思えなければ、どこかむなしいものが残るだけなのかもしれない...と。

職場の同僚は、昨年に突然お母様の病気が発覚して以来、年末に亡くなられるまで、献身的に闘病生活を支え続けておられました。
”自分の家庭や家族の事”と、”仕事”と、”実家関係の介護やお世話”のすべてを両立させていくには、完全にみんなが満足できるようなレベルを意識すると自分も周りもみんなが苦しくなるだけだから、出来るだけ無理をしないようにして、その時々に必要な優先順位を意識しながら、”自分が出来ること””自分自身がしたいと思うこと”を積み重ねていくしかない。
時折、彼女の話をうかがうたびに、数年前に私の父が倒れた時のことを思い出しながら、そんなふうに思い、語っていた日々でした。
たとえ自分自身を生んで育ててくれた実の親であっても、親元を離れて過ごした日々の分だけ、お互いに全く違う価値観があり、けっして譲れないこだわりがあり、無理をすれば、その分だけお互いに傷つけあうようなこともある。
昔、主人の実家での完全同居時代には、世間同様に嫁・姑関係に悩み、苦しんだこともあったけれど、当時幼かった子供たちが2人とも成人するまでの年月を経て、義母も私もすっかり年を取りました。
あいかわらず気丈でしっかりした(反面、気が強い性格だと自分でも言っておられる


今回、旅先でカラオケ


その後、息子が大学入学に伴い下宿するようになって、実家へ食料品や日用品を届けたり、義母を買い物にお誘いしたりするため、できるだけ毎週末訪れるようになり、よく一緒に旅行に出かけておられた伯母を亡くされてからは、ふだん息子がお世話になっているお礼にと、気分転換の旅行にもお誘いするようになり...。
たぶん、今回の小旅行においても、「私が憩いを感じるもの」と「義母が憩いを感じられるもの」は全く違っていたのだろうけれど、お互い、”それぞれが楽しかったと思えるもの”を持ち帰ることが出来たなら、それはそれでいいんじゃないかな...と思います。
そして、また次の機会にもお誘いすると喜んでいただけるのであれば、”義母にも満足していただけるような憩いの旅”を計画することを楽しんでいる私がいるのだろう...と、思うのです。

新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
― マルセル・プルースト ― 』
Posted by Dreamer at 17:54
│日常の雑感