2016年06月08日

ポーの一族”春の夢”と、デジャヴ感

先月末発売の「月刊フラワーズ」で、萩尾望都先生が40年ぶりに「ポーの一族」の新作を発表しました。

ポーの一族”春の夢”と、デジャヴ感


30年ぶりとか、40年ぶりとか、そんな時間の長さで再会するものが続くと、なんとなく、不思議な気がします。


変化しているのは、相手だけでなく自分もそうだということにも、ぎこちない違和感があって...。


2013年9月に、元ガロのマークが35年ぶりとも40年ぶりともいわれる新作CD「時の魔法」を発表された時、そして、同年10月にマーク from GAROとしてライブツアーを行われた時には、まさか、その翌年の12月にマークがトミーの元に旅立ってしまわれるとは思ってもいなくて、逆に、今となっては、2010年9月以降、いくつかのライブハウスでマークのライブを聴いていた日々でさえ、夢の中の出来事だったんじゃないだろうか...と思ってしまうのにも、似ているような。



「(主人)の奥さん」、「(娘や息子)のお母さん」「現職場での、(私)さん」という存在として生きている今の私の周りには、先週末、大学の同窓会で同期たちが呼びかけてくれた旧姓でのニックネームやその頃の私を知る人がいないだけでなく、自分自身でさえ、昔の私のニックネームで呼びかけられるときの感覚は、まるで、前世の記憶の中のデジャヴ感のような気がしていました。

でも、数日たち、その時作成した同窓生グループのLINE上であれこれ語り合っていくうちに、昔の私と同様に今現在の私をも自然に受け入れてくれる旧友たちの存在は、だんだんと遠い昔の記憶の中にいるようなぼんやりとした距離感ではなく、今現在の時間の中できちんと存在を認識できるように、ゆっくりと変化していったような、そんな気がします。



たぶん、そんな状況を鏡で見るような手ごたえで、自分には見えにくかった自分自身の変化を痛感し、自分自身が受け入れることが出来るのかもしれません。


時間の流れにそってゆっくりと遠くなっていくもの、そして、どんなに時間が流れてもやさしく私自身に寄り添うように、労わるように、励ますように、自然な形ですぐ近くにあることに気づくもの。

『ご縁』って、本当にあるんだと、やはり、心から思います。






先週末の同窓会の日、本当は私は出勤日で、今までだったら出席をあきらめていたのだけれど...。


3月頃に、同期から「今年は先生の米寿記念でもあるし、できたら、みんなでお祝いにいこうよ。」と連絡をいただいていました。

そして4月、ラドンナ原宿での”大野真澄 ~GARO 青春の旅路 ACT3 《追加公演》”で隣の席だったAさんと音楽についていろいろ楽しく語り合っていた時に、彼女はガロとのつながりからアルフィーファンであることや、私と同じフィギュアスケートファンでもあられるという話の流れの中で、『6月に神戸で開催される”ファンタジー オン アイス 2016”を観るために関西へ来られるということ、その際に、私の母校敷地内の博物館で開催される”なごみのガラス展~坂崎幸之助 和ガラスコレクション~”も、訪れたいと思っているということ』をうかがいました。

ちょうど、同窓会と同じ時期に母校の敷地内で坂崎幸之助さんの”なごみのガラス展”が開催されているということに背中を押されるように感じて、同僚にお願いして出勤のシフトを代わっていただき、今回は同窓会に出席ハガキを出していたのですが...。


その後、GW後半に主人が負傷し、週末の通院に付き添う必要が出来る中、先週末、同窓会のためにお休みをいただいていたおかげで、朝一番に主人の病院に付き添うことが出来、ギブスが取れた後、自宅まで一緒に戻ってから、安心して大阪へ出かけて行けました。


そして、同窓会の前に立ち寄った”なごみのガラス展”。

東京のライヴ会場でAさんに出逢って教えていただかなければ、たぶん、気がついていなかったであろう展覧会でした。

”訪れて、よかった”と、思いました。


ずいぶん、ひさしぶりに出席した同窓会。そこには、癒される時間と空間があり、なつかしい人たちの笑顔と安らぎがありました。

”思いきって参加して、よかった。”と、心から思いました。


ポーの一族”春の夢”と、デジャヴ感



今月中旬に関西に来られるAさんに、”なごみのガラス展”についての資料を添えてメールをお送りしたら喜んでいただけ、『マークが繋いでくれたご縁に感謝』というお返事をいただいて、私もまた、『マークが繋いでくれたご縁に感謝』と思うことが多いということを、しみじみと感じていたのでした。


さまざまな出逢いを、”偶然”と思うのか、”自分にとって必然だった”ととらえるのかは、自分自身の感覚にすぎないように。

さまざまな別れもまた、どういうふうにとらえるのかは、自分自身の感覚なのだろうと、思います。

そして、そこに、”運命”というものを感じるかどうかも、自分自身のとらえ方であり、感じ方なのだろうと思うのだけれど。


すべての、『出逢い』に、『別離』に、そして『運命』に、感謝の心をもてるようでありたいと、願っています。





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Posted by Dreamer at 05:24 │日常の雑感本の話