2016年12月22日
2016年12月16日
体調管理についての雑感
先日、歯科の定期診察を終えて、年内の医院関係は終了のはずだったのですが...。
アレルギー関係の症状が出始めて、年末年始分の常備薬が足りるかどうか、微妙なところになりつつあります。
若い頃は、多少の体調不良は”寝れば治る”とか、”市販薬で治る”と、思っていました。
年齢を重ねて行くうちに、体調管理って、そういうものではないんだな...と思うようになりました。
信頼できるかかりつけ医がいてくださって、定期的に検診していただけて、かかりつけの薬局があって、相談できることの大切さを痛感したうえで、自分自身の体調管理は自分自身が日々責任をもって行わないといけないということ。
症状が出てから、ひどくなってからあわてるよりも、自分の弱点や体調をきちんと認識して、日常生活の中で予防に努めることが大事だということ。

師走の今の時期だからこそ、休息と自分のペースを意識して、過ごしていきたいと思います。

アレルギー関係の症状が出始めて、年末年始分の常備薬が足りるかどうか、微妙なところになりつつあります。

若い頃は、多少の体調不良は”寝れば治る”とか、”市販薬で治る”と、思っていました。
年齢を重ねて行くうちに、体調管理って、そういうものではないんだな...と思うようになりました。
信頼できるかかりつけ医がいてくださって、定期的に検診していただけて、かかりつけの薬局があって、相談できることの大切さを痛感したうえで、自分自身の体調管理は自分自身が日々責任をもって行わないといけないということ。
症状が出てから、ひどくなってからあわてるよりも、自分の弱点や体調をきちんと認識して、日常生活の中で予防に努めることが大事だということ。

師走の今の時期だからこそ、休息と自分のペースを意識して、過ごしていきたいと思います。
2016年12月14日
きっかけ
昔、独身時代は白い服が好きでした。
でも、結婚して家庭に入り、特に子育ての時期は、”白い服だと汚れを気にしないといけないから、動きにくくなる...”ということで、いつのまにか服を購入する際に白や淡い色の服を避けるようになり、ふと気がつくと、私の普段の衣服は黒っぽいものや色の濃いものが多くなっていました。
それでも夏物などはまだ、白や淡い色もあるのですが、冬物はどうしても黒や濃い色がメインになっています。
今年の9月末、「日本のルーツを行く! 又吉ロマン ~知られざる水の神秘とは!?~」というテレビ番組
がありました。
ちょうど10月から私もお遍路をスタートしようとしていたところだったこともあり、”又吉さんと夏木マリさんが霊場八十八ヵ所と水との深い関係を学ぶため、香川県でお遍路の旅をする”という番宣に魅かれて録画しておいた番組を観た時、夏木マリさんの白装束の服装がとても印象的でした。
そして、それ以降、”職場だけでなく、お遍路の旅にも着ていけるんだから、白い服を買っても大丈夫”と、なんとなく思えるようになりました。
誰かに制約されているよりも、むしろ、自分で自分を制限したり、規制をつけたりしていることのほうが、乗り越えるのが難しいような気がします。
でも、だからこそ、そこから解放されると、不思議な安心感がある。
”きっかけ”って、なにげないところにあって、それもまた”大切な出会い”なのかもしれないと思います。

安心感があるからこそ、憩うことができる。
”憩いの場所”や”憩いの時間”は、
大切な基本を礎にしたうえで、
自分自身を無意識に縛っている
セルフコントロールを越えた先にある。
今年、気がつけたことのひとつです。
でも、結婚して家庭に入り、特に子育ての時期は、”白い服だと汚れを気にしないといけないから、動きにくくなる...”ということで、いつのまにか服を購入する際に白や淡い色の服を避けるようになり、ふと気がつくと、私の普段の衣服は黒っぽいものや色の濃いものが多くなっていました。

それでも夏物などはまだ、白や淡い色もあるのですが、冬物はどうしても黒や濃い色がメインになっています。
今年の9月末、「日本のルーツを行く! 又吉ロマン ~知られざる水の神秘とは!?~」というテレビ番組

ちょうど10月から私もお遍路をスタートしようとしていたところだったこともあり、”又吉さんと夏木マリさんが霊場八十八ヵ所と水との深い関係を学ぶため、香川県でお遍路の旅をする”という番宣に魅かれて録画しておいた番組を観た時、夏木マリさんの白装束の服装がとても印象的でした。
そして、それ以降、”職場だけでなく、お遍路の旅にも着ていけるんだから、白い服を買っても大丈夫”と、なんとなく思えるようになりました。

誰かに制約されているよりも、むしろ、自分で自分を制限したり、規制をつけたりしていることのほうが、乗り越えるのが難しいような気がします。
でも、だからこそ、そこから解放されると、不思議な安心感がある。
”きっかけ”って、なにげないところにあって、それもまた”大切な出会い”なのかもしれないと思います。

安心感があるからこそ、憩うことができる。
”憩いの場所”や”憩いの時間”は、
大切な基本を礎にしたうえで、
自分自身を無意識に縛っている
セルフコントロールを越えた先にある。
今年、気がつけたことのひとつです。
2016年12月11日
年末年始の目標 2016
12月中旬になりました。
今年の我家の年末年始の目標は、”年末年始を意識しないで、できるだけ日常どおりに過ごすこと”。
でも、”長年、慣習として行ってきたこと”って、実は、”今までどおり”にする方が簡単で...。
”年末年始らしいことを、あえて、行わない。”と決めていても、いろいろ大掃除をしないといけないところは気になっているし、おせちは作らないつもりでも、数の子を見るとつい買ってしまうし。
たぶん、”できるだけ自然体で年末年始を過ごせるように、あれこれ模索してみる”ということが、今年の目標だと言えるのかもしれません。

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今年の我家の年末年始の目標は、”年末年始を意識しないで、できるだけ日常どおりに過ごすこと”。
でも、”長年、慣習として行ってきたこと”って、実は、”今までどおり”にする方が簡単で...。

”年末年始らしいことを、あえて、行わない。”と決めていても、いろいろ大掃除をしないといけないところは気になっているし、おせちは作らないつもりでも、数の子を見るとつい買ってしまうし。

たぶん、”できるだけ自然体で年末年始を過ごせるように、あれこれ模索してみる”ということが、今年の目標だと言えるのかもしれません。

冬場はあまり成長しないけれど、室内のグリーンとして癒してくれるレタス。
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2016年12月09日
2017年にむけて
今年も、いろいろなご縁がありましたが、私なりに一番大きな”ご縁”を感じたことは、主人や義母と共にお遍路をスタートしたことだと思います。
昨年、義母をお誘いしていた四国への小旅行の途中、義母が中断しておられた納経帳のためのご朱印を受けていた時には、正直、想像もしていませんでしたが...。
今年、主人の仕事の関係で、車で四国へ行くご縁があり、主人と私の仕事が連休設定できるスケジュールになって、義母をお誘いして3人で出かけて行こうかという流れになった時、本当に自然に、”それなら、私も、私のお遍路をスタートしようかな”と思えたこと、”ならば、あなた(主人)も納経帳を用意して、義母と私と主人、3人それぞれがそれぞれの想いを持ってお参りしようよ”と誘ってみると、主人も同意してくれたこと。
義母が先にお参りを済ませておられるところは、ほとんどが日帰りバスツアーにお友達と参加されていたものだったので、そのぶんは主人と私が2人でバスツアーに参加して追いかけていける状況だったこと。
不思議なくらいに、自然な流れの中で決まっていった私のお遍路の始まりでした。
「求めよ さらば 与えられん」という言葉がありますが、たぶん、私の心の中のどこかで、そういう形での”癒し”を求めていて、このお遍路の旅については、弘法大師様のお導きによってスタートしたのだと、素直に思えます。
そして、そうして出かけて、無心になって巡る時間の中で、毎回、それぞれ、私なりに得るものがありました。

来年(2017年)中に、88ヵ所すべてをお参りして、結願することが出来て、高野山へのお礼参り**までたどり着けるかどうかはわからないけれど、”また来年も、ご縁があるといいな”と、私は心から願っています。
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昨年、義母をお誘いしていた四国への小旅行の途中、義母が中断しておられた納経帳のためのご朱印を受けていた時には、正直、想像もしていませんでしたが...。
今年、主人の仕事の関係で、車で四国へ行くご縁があり、主人と私の仕事が連休設定できるスケジュールになって、義母をお誘いして3人で出かけて行こうかという流れになった時、本当に自然に、”それなら、私も、私のお遍路をスタートしようかな”と思えたこと、”ならば、あなた(主人)も納経帳を用意して、義母と私と主人、3人それぞれがそれぞれの想いを持ってお参りしようよ”と誘ってみると、主人も同意してくれたこと。
義母が先にお参りを済ませておられるところは、ほとんどが日帰りバスツアーにお友達と参加されていたものだったので、そのぶんは主人と私が2人でバスツアーに参加して追いかけていける状況だったこと。
不思議なくらいに、自然な流れの中で決まっていった私のお遍路の始まりでした。
「求めよ さらば 与えられん」という言葉がありますが、たぶん、私の心の中のどこかで、そういう形での”癒し”を求めていて、このお遍路の旅については、弘法大師様のお導きによってスタートしたのだと、素直に思えます。
そして、そうして出かけて、無心になって巡る時間の中で、毎回、それぞれ、私なりに得るものがありました。

来年(2017年)中に、88ヵ所すべてをお参りして、結願することが出来て、高野山へのお礼参り**までたどり着けるかどうかはわからないけれど、”また来年も、ご縁があるといいな”と、私は心から願っています。
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2016年12月08日
2016年を振り返る
毎年、12月になって翌年用の新しい手帳やノートを用意する時期になると、”その1年を振り返る”作業をしています。

今年も、いろいろあったなぁ...とあらためて思ったり、1年って早いなぁ...と思ったり。
自分なりにこの1年を総括すると、『”音楽”と”癒し”に支えられた1年』だったと、思います。
2016年は、残すところ20日と少し。
年末年始にむけて職場での仕事が忙しくなるし、今月もいろいろスケジュールが入っているけれど。
毎日の生活の中で、日常の家事や職場での仕事って、あえて記録に残ってはいないけれど、実は、私が今、こうして生きているのは、そういう水面下のなにげないところで、地道にコツコツと積み重ねているものに支えられているということにも感謝して、日々を大切にしていこうと思うのです。
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今年も、いろいろあったなぁ...とあらためて思ったり、1年って早いなぁ...と思ったり。
自分なりにこの1年を総括すると、『”音楽”と”癒し”に支えられた1年』だったと、思います。
2016年は、残すところ20日と少し。
年末年始にむけて職場での仕事が忙しくなるし、今月もいろいろスケジュールが入っているけれど。
毎日の生活の中で、日常の家事や職場での仕事って、あえて記録に残ってはいないけれど、実は、私が今、こうして生きているのは、そういう水面下のなにげないところで、地道にコツコツと積み重ねているものに支えられているということにも感謝して、日々を大切にしていこうと思うのです。
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2016年11月28日
贈り物の輪

週末、息子が義母の手作りのキッシュとチーズケーキをお土産に持ってきてくれたので、Oさんのところへもおすそ分けをお届けしたら、お父さんの畑で収穫した冬野菜をたくさんいただきました。
今年は店頭価格が高くて購入に躊躇してしまう白菜やきゃべつ、そして葉つきの大根やカブや、ちょっと珍しいはやとうり等々。
収穫したての新鮮な貴重な野菜たちですので、翌日、実家へ息子を送っていく際にすべて持っていき、義母が必要とされたものを置いてきました。
(今日は、我家に残った野菜↑の下処理&調理DAYでした。)
そんな”贈り物の輪”のつなぎの役どころしかできない私ですが、Oさんからも、義母からも、「ありがとう。」と笑顔で言っていただけたのが、なんだか、うれしくて。

私は、私にできる役割を積み重ねていくことしかできないけれど...。
それでも、「ありがとう。」と言ってもらえることがある。
だからこそ、明日も私なりにがんばろうと思えるのだろうな...と、思うのです。
ありがとうございます。
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2016年11月21日
心のケアの処方箋 -2
娘と過ごした先週末から、1週間。

旅先での時間はもちろん大切なのだけれど、むしろ、帰宅してから自宅でのんびりと写真データを整理したり、思い出をまとめたりしながら、その時々に私が考えていたこと、感じていたことなどを振り返る時間も、大切な心のケアのひとときなのだろうと思います。
どんなお出かけであっても、出かける前は準備をする時間が楽しい反面、”いつもどおりの日常の時間をのんびり過ごせるほうが、楽なのかもしれないな...”と思う部分も、ちょっぴり、あります。
でも、いったん出かけてしまうと、”せっかくの、日常から離れた貴重な時間なのだから、自分なりにその時間を、場所を、状況を楽しんで過ごしたい”と思い、そんな中で、自分の心の琴線に響く何かを感じた時に、覚書のような感覚でデジカメで写真を撮っています。
そんなふうに撮影した写真を、後で見直しながら整理していくことは、その時々の自分の心が感じたものを整理していくような気分になれるのだと、思います。
娘と金剛院の境内を散策している時、彼女もスマホカメラで風景を撮影し、私に送ってくれました。
一緒に同じ場所を散策して、同じ風景を撮影しても、彼女の視点でとらえた写真は、やはり私とは違います。
娘の了解を得て、彼女の写した写真もこのブログの思い出記録の中に使わせてもらっています。
そして、そんな彼女の写真を見ることも、私の心をとても和ませてくれるのです。

旅先での時間はもちろん大切なのだけれど、むしろ、帰宅してから自宅でのんびりと写真データを整理したり、思い出をまとめたりしながら、その時々に私が考えていたこと、感じていたことなどを振り返る時間も、大切な心のケアのひとときなのだろうと思います。
どんなお出かけであっても、出かける前は準備をする時間が楽しい反面、”いつもどおりの日常の時間をのんびり過ごせるほうが、楽なのかもしれないな...”と思う部分も、ちょっぴり、あります。
でも、いったん出かけてしまうと、”せっかくの、日常から離れた貴重な時間なのだから、自分なりにその時間を、場所を、状況を楽しんで過ごしたい”と思い、そんな中で、自分の心の琴線に響く何かを感じた時に、覚書のような感覚でデジカメで写真を撮っています。
そんなふうに撮影した写真を、後で見直しながら整理していくことは、その時々の自分の心が感じたものを整理していくような気分になれるのだと、思います。

娘と金剛院の境内を散策している時、彼女もスマホカメラで風景を撮影し、私に送ってくれました。
一緒に同じ場所を散策して、同じ風景を撮影しても、彼女の視点でとらえた写真は、やはり私とは違います。
娘の了解を得て、彼女の写した写真もこのブログの思い出記録の中に使わせてもらっています。
そして、そんな彼女の写真を見ることも、私の心をとても和ませてくれるのです。

2016年11月18日
野菜
先日Oさんにいただいた、里芋で炊き合わせを、さつまいもで揚げない大学芋をつくりました。

おうちごはんの、特別なものではない、本当になにげない献立の素朴さに、ほっとします。
さつまいもを揚げずに、細めに切ってレンジで軽く蒸してから、フライパンに少し多めの油を入れて表面をパリッと焼き上げて、大学芋のタレをからめると、仕上がりがヘルシーになる。
そういう工夫や手間暇をかけられることの贅沢をしみじみ感じる年代なんだな...と、思います。
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おうちごはんの、特別なものではない、本当になにげない献立の素朴さに、ほっとします。
さつまいもを揚げずに、細めに切ってレンジで軽く蒸してから、フライパンに少し多めの油を入れて表面をパリッと焼き上げて、大学芋のタレをからめると、仕上がりがヘルシーになる。
そういう工夫や手間暇をかけられることの贅沢をしみじみ感じる年代なんだな...と、思います。
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2016年11月16日
親子
先日、なにげなく2字熟語タイトルを使ってみたら、なんとなく気にいってそのまま続けていってしまい、普通のタイトルに戻すタイミングを計りかねています。

”娘に会いに行くと、ほっとするのは、なぜなんだろう”と思いつつ...。
母娘(親子)であっても、私に似ているところ、私と違うところ。
基本的に、自分に自信がない私は、娘が私の苦手分野でも平気でクリアしてくれること(違い)に感謝しながらも...。
私に似ているところに、”ごめんね...”と思い、それでも、そんな彼女が元気に頑張ってくれていることに癒されている自分に、気づくのです。


”娘に会いに行くと、ほっとするのは、なぜなんだろう”と思いつつ...。
母娘(親子)であっても、私に似ているところ、私と違うところ。
基本的に、自分に自信がない私は、娘が私の苦手分野でも平気でクリアしてくれること(違い)に感謝しながらも...。
私に似ているところに、”ごめんね...”と思い、それでも、そんな彼女が元気に頑張ってくれていることに癒されている自分に、気づくのです。
2016年11月15日
日常
週末の帰宅途中、Oさんのところへお土産
を届けに行くと、たくさんのさつまいもや里芋をいただき、”旬の野菜を活かしたメニュー、何を作ろうかな
”と考えて、”日常に戻ってきた”と実感。
自宅に戻ると、水耕栽培のレタスがすっかり大きくなっていました。

非日常な小旅行から戻ると、日常のなにげないことがよりいっそう大切に思えたり、違って見えたりするような気がします。
旅先で、いろいろなところを訪れて、自分自身のための種まきをしてきたのだと思えるから。
日常生活に戻って、いろんな経験から得た心の中の種を育みながら、また違う視点を得た私に会えるといいな...と、思います。
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自宅に戻ると、水耕栽培のレタスがすっかり大きくなっていました。

非日常な小旅行から戻ると、日常のなにげないことがよりいっそう大切に思えたり、違って見えたりするような気がします。
旅先で、いろいろなところを訪れて、自分自身のための種まきをしてきたのだと思えるから。
日常生活に戻って、いろんな経験から得た心の中の種を育みながら、また違う視点を得た私に会えるといいな...と、思います。
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2016年11月13日
願望

娘につきあってもらって、東京で過ごしたバカンスの週末。
自分の休日の楽しみだけでなく、職場の同僚と出かけたり、東京に遊びに来た学生時代の友人達につきあって、東京ディズニーリゾートにいく機会が多い娘は年間パスを持っているため、最初は、ディズニーでの休日のスケジュールを考えてくれていたのだけれど、母の希望を伝えて、昨日は終日、私のわがままにつきあってもらいました。
「せっかく、”お誕生日プレゼント”として出かける東京小旅行なんだから、(娘)と東京ディズニーランドに行って遊んで来たらいいのに...。」と、身内である主人ですら、言っていましたが...。
そして、たぶん、娘にとっても、母の希望のスケジュールにつきあうのは、彼女自身の休日の楽しみにはならなかったかもしれないのですが...。

私の行きたいところに行って、私が過ごしたいように休日を過ごせて、そして、そこに、娘がつきあってくれて、話し相手になってくれる。
私にとっては、とても幸せだった1日だったのでした。

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2016年11月10日
変化
日本でも話題になっていたアメリカの大統領選が終わって、予想外な結果だと報道されています。
でも、今まで通りだと、常識的にはこうなるだろうと想定されていることがくつがえされる、"想定外のこと”って表現は、いろいろなところで、聞くような...。
誰もが想定している範囲内で物事が進んでいる時には、何も変化しないけれど、大多数の人が想定外だと思っていた結果が起こった時、いろんなところでいろいろなことに変化が生じるのは、確かなんだろうな...と、思います。

10月下旬に「水耕栽培の灯り」と綴っていたように、少しずつ成長しているレタスの葉を見つめながら、”自分自身の思考を、感情を、行動を、自分でコントロールできている”という、すごく基本的なことが大切なんだよ...と、自分自身に言い聞かせてみる。
身近な出来事の中で、自分の想定外のことに遭遇して、対応に悩む時。
悩んだ結果、今までの自分とは違う対応をしてみると、さらに自分の想定外の方向へ物事が進んでいく時。
そういう時は、五里霧中の心境で進んでいくしかなくて、不安な気持ちと闘わなくてはいけないのだけれど...。
いろいろなところで、生じてくる変化を、冷静に受けとめながら、見つめながら。
今の私にとって唯一、確かなことは、”自分自身の思考、感情、行動だけは、ある程度、自分自身でコントロールできる”ということなんだろうな...と、やはり、思います。
10月に小さな種をまいているからこそ、こうして発芽の様子に励まされたり癒されたりできるし、このまま順調に育ってくれれば、また、自家製のレタスをおうちごはんに利用できるようになる。
自分にとってうれしい変化を呼び寄せるのは、自分の小さな行動の結果なんだと。
今日も、自分にできる何かで、小さな種まきができる1日になればいいな...と、思います。
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でも、今まで通りだと、常識的にはこうなるだろうと想定されていることがくつがえされる、"想定外のこと”って表現は、いろいろなところで、聞くような...。
誰もが想定している範囲内で物事が進んでいる時には、何も変化しないけれど、大多数の人が想定外だと思っていた結果が起こった時、いろんなところでいろいろなことに変化が生じるのは、確かなんだろうな...と、思います。

10月下旬に「水耕栽培の灯り」と綴っていたように、少しずつ成長しているレタスの葉を見つめながら、”自分自身の思考を、感情を、行動を、自分でコントロールできている”という、すごく基本的なことが大切なんだよ...と、自分自身に言い聞かせてみる。
身近な出来事の中で、自分の想定外のことに遭遇して、対応に悩む時。
悩んだ結果、今までの自分とは違う対応をしてみると、さらに自分の想定外の方向へ物事が進んでいく時。
そういう時は、五里霧中の心境で進んでいくしかなくて、不安な気持ちと闘わなくてはいけないのだけれど...。
いろいろなところで、生じてくる変化を、冷静に受けとめながら、見つめながら。
今の私にとって唯一、確かなことは、”自分自身の思考、感情、行動だけは、ある程度、自分自身でコントロールできる”ということなんだろうな...と、やはり、思います。
10月に小さな種をまいているからこそ、こうして発芽の様子に励まされたり癒されたりできるし、このまま順調に育ってくれれば、また、自家製のレタスをおうちごはんに利用できるようになる。
自分にとってうれしい変化を呼び寄せるのは、自分の小さな行動の結果なんだと。
今日も、自分にできる何かで、小さな種まきができる1日になればいいな...と、思います。
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2016年11月07日
心のケアの処方箋
昨日、大阪からの帰宅時
に見た風景から。

たとえば、「発熱」とか「腹痛」などの症状が出て、お医者さんに行ったとしても、診察結果はいろいろな要因や症状によって違うし、処方されるお薬は人によって違う。
そのひと個人の体質とか、アレルギーとか、過去に副作用があったかどうかなど、そういったことを問診や触診などの診察、お薬手帳などを参考にしながら、かかりつけ医の先生がそのひとにもっとも適したお薬を選んで処方箋を発行してくださるように。
生まれてきてから長い年月、かたときも離れず自分とつきあってきているのは、他でもない、自分自身なのだから。
自分自身にあった、心のケアの処方箋を書けるのは、やっぱり、自分自身なのだと。
先月下旬から、同じような課題がぐるぐるまわり続けているような気がするけれど、せめて、同じところにとどまってまわっているのではなく、らせん状に少しでも上昇していればいいのにな...と、思います。


たとえば、「発熱」とか「腹痛」などの症状が出て、お医者さんに行ったとしても、診察結果はいろいろな要因や症状によって違うし、処方されるお薬は人によって違う。
そのひと個人の体質とか、アレルギーとか、過去に副作用があったかどうかなど、そういったことを問診や触診などの診察、お薬手帳などを参考にしながら、かかりつけ医の先生がそのひとにもっとも適したお薬を選んで処方箋を発行してくださるように。
生まれてきてから長い年月、かたときも離れず自分とつきあってきているのは、他でもない、自分自身なのだから。
自分自身にあった、心のケアの処方箋を書けるのは、やっぱり、自分自身なのだと。
先月下旬から、同じような課題がぐるぐるまわり続けているような気がするけれど、せめて、同じところにとどまってまわっているのではなく、らせん状に少しでも上昇していればいいのにな...と、思います。
2016年11月01日
心のイメージトレーニング
今日から、11月。
昨日、てんこもりスタッフの方の「ゆっくりでもブログをはじめよう -ブログを書く理由-」という記事を拝見して、私にとっては自分の覚書日記と共に、綴られている中のひとつとしてあげられたこの理由
はあるだろうな...と思いました。
ところで、ブログってなんで書くのでしょうか???
”書くことで、自分と向き合って、自分に冷静な判断を促せるから"
でも、たぶん、それらの理由だけなら、私にとっては、非公開の個人日記で記録を残しておくので充分だと思います。
正直言って、2009年2月にここでブログを始めた時には、公開の現在のような形で7年以上も続けていくとは思っていませんでした。
でも、この年月の期間を経て、公開ブログは”誰かが読んでくれる前提で書くもの”だということの大切な意味に気づいたような気がします。
たとえば、何かにぶつかって落ち込んでいる時に、自分を見つめなおすにあたって、非公開の個人日記にあれこれ綴っているならば、冷静な事実の検証や自己反省を越え、どんどん自分で自分を追い詰めてしまうかもしれない。
でも、その文章を”誰かが読むかもしれない”、その写真を”誰かが見るかもしれない”と他者の眼を意識すると、ちょっとだけ、いいカッコして、ただ落ち込んでいるだけじゃない、それでもなんとか前向きに努力しようとしている自分がそこにいる文章にまとめたいと思う、できるだけ、第三者の立場で見ても、癒されるような写真を選んで残しておきたいと思う。
そういうことって、自分自身にとって、とても大切なことのような気がします。
誰かに大切な手紙を書く時、心を開いて相談する時やされる時、自分のためにも、相手のためにも、言葉を選び、表現を選び、推敲を重ねるように。
そういう時間が、自分の心のイメージトレーニングになっていくような、気がします。

最近、小林麻央さんのブログを毎日必ず拝見しています。
昨日の「苦労と試練」という記事の最後に、こんな言葉が綴られていました。
何事も、
苦労のように思ってしまう時は
いつも負けそうだったことを
思い出しました。
試練と思えるときは
まだまだ心に力が湧きます。
どんなことでも、”試練”と思い、心に力を湧かせるのは、”自分の弱さに負けたくないと思う自分の気持ちの持ちよう”で、そう綴ることによって、自分自身を支えてくれるパワーになる。
そして、そんな言葉や文章は、読者をも、勇気づけ、希望やパワーを与えることができる。
見習っていきたいと、心から、思います。
昨日、てんこもりスタッフの方の「ゆっくりでもブログをはじめよう -ブログを書く理由-」という記事を拝見して、私にとっては自分の覚書日記と共に、綴られている中のひとつとしてあげられたこの理由

ところで、ブログってなんで書くのでしょうか???
”書くことで、自分と向き合って、自分に冷静な判断を促せるから"
てんこもりスタッフブログ「ゆっくりでもブログをはじめよう -ブログを書く理由-」(2016.10.31)より
でも、たぶん、それらの理由だけなら、私にとっては、非公開の個人日記で記録を残しておくので充分だと思います。
正直言って、2009年2月にここでブログを始めた時には、公開の現在のような形で7年以上も続けていくとは思っていませんでした。
でも、この年月の期間を経て、公開ブログは”誰かが読んでくれる前提で書くもの”だということの大切な意味に気づいたような気がします。
たとえば、何かにぶつかって落ち込んでいる時に、自分を見つめなおすにあたって、非公開の個人日記にあれこれ綴っているならば、冷静な事実の検証や自己反省を越え、どんどん自分で自分を追い詰めてしまうかもしれない。
でも、その文章を”誰かが読むかもしれない”、その写真を”誰かが見るかもしれない”と他者の眼を意識すると、ちょっとだけ、いいカッコして、ただ落ち込んでいるだけじゃない、それでもなんとか前向きに努力しようとしている自分がそこにいる文章にまとめたいと思う、できるだけ、第三者の立場で見ても、癒されるような写真を選んで残しておきたいと思う。
そういうことって、自分自身にとって、とても大切なことのような気がします。
誰かに大切な手紙を書く時、心を開いて相談する時やされる時、自分のためにも、相手のためにも、言葉を選び、表現を選び、推敲を重ねるように。
そういう時間が、自分の心のイメージトレーニングになっていくような、気がします。

最近、小林麻央さんのブログを毎日必ず拝見しています。
昨日の「苦労と試練」という記事の最後に、こんな言葉が綴られていました。
何事も、
苦労のように思ってしまう時は
いつも負けそうだったことを
思い出しました。
試練と思えるときは
まだまだ心に力が湧きます。
どんなことでも、”試練”と思い、心に力を湧かせるのは、”自分の弱さに負けたくないと思う自分の気持ちの持ちよう”で、そう綴ることによって、自分自身を支えてくれるパワーになる。
そして、そんな言葉や文章は、読者をも、勇気づけ、希望やパワーを与えることができる。
見習っていきたいと、心から、思います。
2016年10月31日
ハロウィンの日 2016

ハロウィンって、
いつのまにか日本でも、
クリスマス前の一大イベントとして
公認されるようになっているけれど、
もともとは、古代ケルト人の
宗教的な行事だったと言われています。
いつのまにか日本でも、
クリスマス前の一大イベントとして
公認されるようになっているけれど、
もともとは、古代ケルト人の
宗教的な行事だったと言われています。
ただ、”秋の収穫を祝う”という感覚は、日本の秋祭りにも通じるものがあるし、”死者の霊が帰ってくるのでもてなす”という感覚は、日本のお盆にも通じるものがある。
そんな、なんとなくなじみのある感覚をもって、”お祭り気分で、コスプレをして非日常な自分と時間を楽しむ”ということが、現代の日本のハロウィンなのかな...と、思います。
さすがに、コスプレはしないけれど...。

土曜日に秋のお彼岸以降訪れていなかった、お墓参りをしてきたり...。
いつも収穫したばかりのお野菜をいただいているOさんのかぼちゃを飾って、我家の水耕栽培のレタスの豊作を祈ったり...。
そんな、私なりのハロウィンを過ごしたいな...と、思っています。
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2016年10月25日
10月下旬の風景 2016
先週末、息子が帰ってきて、翌日実家へ送って行き
、義母をお買い物にお連れして、帰宅する時に見た空。
たとえ空がどんよりと曇っていても、雲の隙間から差し込む光が、気持ちを明るくしてくれます。

義母と共にスーパーに行って、「最近、葉物野菜が高くて、なかなか購入する気になれない...。」と2人で嘆いていたので、帰宅後、主人がお休みしていた水耕栽培を再開してくれました。
9月の下旬にリビングにマッサージチェアを置くため、室内の模様替えをした際に、水耕栽培をいったんすべて収穫して、置台の場所を移動して、なんとなくそのままだったのです...。
種をまいて、収穫できるまで1か月くらいかかると思うけれど、レタスが自宅で収穫できるのは、今はとってもありがたいので、”Green Farmの周りで、トトロダンスを踊ったら、一晩で芽が出て
大きくなるだろうか...。
”と、ちょっと真剣に思ってしまった、2016年の秋
です。
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たとえ空がどんよりと曇っていても、雲の隙間から差し込む光が、気持ちを明るくしてくれます。


義母と共にスーパーに行って、「最近、葉物野菜が高くて、なかなか購入する気になれない...。」と2人で嘆いていたので、帰宅後、主人がお休みしていた水耕栽培を再開してくれました。

9月の下旬にリビングにマッサージチェアを置くため、室内の模様替えをした際に、水耕栽培をいったんすべて収穫して、置台の場所を移動して、なんとなくそのままだったのです...。
種をまいて、収穫できるまで1か月くらいかかると思うけれど、レタスが自宅で収穫できるのは、今はとってもありがたいので、”Green Farmの周りで、トトロダンスを踊ったら、一晩で芽が出て





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2016年10月17日
物事の受けとめ方についての雑感
先週末の香川旅行の初日、坂出に向かう途中、81番札所である白峯寺を訪れようと車で山道を登っていたのですが、途中の道で通行止め。
そういえば、翌日の宿泊地である休暇村讃岐五色台から、「台風の影響の土砂崩れにより、白峯寺から中山休憩所間の県道180号線が通行止めになっている」とのご案内が来ていたことを思い出し、結果として少し道を戻って82番札所根香寺に立ち寄っていたため、事前に休暇村讃岐五色台への道を途中まで下見していました。
そのため、結構、ハードな山道を登っていくルートだということを理解していたので、翌日は出来るだけ明るい夕方に到着できるよう、早めにホテルに向かうことに。
そして、宿泊当日は午後5時半頃、休暇村に到着。
「日の入りは17:38」とのことで、夕日の美しいスポットだという景色を眺めながら夕食がスタートするという、とてもうれしい展開となりました。

初日に初めての山道を車で登って行ったときは、”本当に、この道でいいんだろうか”とすごく不安に思っていたり、ご案内をいただいていたにも関わらず、通行止めのため当初の目的地にたどり着けなかったことにがっかりしていたのですが、結果として、そのおかげで翌日、一度通った道は安心して登って行けましたし、休暇村に向かう時間を早めるように気をつけたため、きれいな夕日の入りの時間にギリギリ間にあって、見ることができたのでした。
その時は、間違ったように思ったり、失敗したと落ち込んだりしても、結果として、その経験が次に活かせることによって、良かったと思えること。
そんなことが、いろいろなことを長いスパンで見てみると、よくあるような気がします。
今回、疲れが溜まっているのに自分で気がつかずに、ダウンして寝込んでしまったことも、つい、いろんなことに気負いすぎる自分自身に身体が警鐘を鳴らしたのだと、反省して...。
所用がらみでのお出かけも、できるだけ楽しいお出かけだと思うようにしたり、有意義なお出かけにしようと、欲張ってしまったりするけれど...。
これから、年末にかけて、日常も仕事もどんどん忙しくなっていくし、年内に娘のところに行ってきたいと思っているのだから。
ゆったり、のんびりペースを意識して、頑張らない毎日を過ごしていきたいな...と思います。
そういえば、翌日の宿泊地である休暇村讃岐五色台から、「台風の影響の土砂崩れにより、白峯寺から中山休憩所間の県道180号線が通行止めになっている」とのご案内が来ていたことを思い出し、結果として少し道を戻って82番札所根香寺に立ち寄っていたため、事前に休暇村讃岐五色台への道を途中まで下見していました。
そのため、結構、ハードな山道を登っていくルートだということを理解していたので、翌日は出来るだけ明るい夕方に到着できるよう、早めにホテルに向かうことに。
そして、宿泊当日は午後5時半頃、休暇村に到着。
「日の入りは17:38」とのことで、夕日の美しいスポットだという景色を眺めながら夕食がスタートするという、とてもうれしい展開となりました。


初日に初めての山道を車で登って行ったときは、”本当に、この道でいいんだろうか”とすごく不安に思っていたり、ご案内をいただいていたにも関わらず、通行止めのため当初の目的地にたどり着けなかったことにがっかりしていたのですが、結果として、そのおかげで翌日、一度通った道は安心して登って行けましたし、休暇村に向かう時間を早めるように気をつけたため、きれいな夕日の入りの時間にギリギリ間にあって、見ることができたのでした。
その時は、間違ったように思ったり、失敗したと落ち込んだりしても、結果として、その経験が次に活かせることによって、良かったと思えること。
そんなことが、いろいろなことを長いスパンで見てみると、よくあるような気がします。
今回、疲れが溜まっているのに自分で気がつかずに、ダウンして寝込んでしまったことも、つい、いろんなことに気負いすぎる自分自身に身体が警鐘を鳴らしたのだと、反省して...。
所用がらみでのお出かけも、できるだけ楽しいお出かけだと思うようにしたり、有意義なお出かけにしようと、欲張ってしまったりするけれど...。
これから、年末にかけて、日常も仕事もどんどん忙しくなっていくし、年内に娘のところに行ってきたいと思っているのだから。
ゆったり、のんびりペースを意識して、頑張らない毎日を過ごしていきたいな...と思います。
タグ :反省
2016年10月15日
健康についての雑感-2
今月初めから、気候に身体が順応できていないのが、ずっと気になっていましたが...。
先週末の四国小旅行を終えて以来、それほど職場が忙しいわけでもないし、自宅でも無理はしていないつもりだったのに、とうとう、昨日、ダウン。
夕方、かかりつけ医院に行って受診して、処方薬をいただき、その後、寝込んでしまいました。
自分にとって正しいことが、すべての人に共通なわけじゃなく、反対に、自分にきちんと適合しているかどうかは、自分の身体とか、感覚に照らし合わせてみないとわからない。
そんな単純なことを、しみじみ痛感するようになったのは、やっぱりそういう年齢になったからなんだろう...と、思います。
昔から歯医者さんが苦手でしたが、そんな私をなだめつつ、配慮してくださりつつ、ずっと定期健診していただいている歯科医の先生とスタッフの方々のおかげで、最近では定期的な検診が苦にならなくなっています。
虫歯になってから治療のために歯科医を訪れるのではなく、予防のために定期的に歯科医院で検診を受けてクリーニングをしていただくことによって、結果として、早期発見早期治療となり、治療の痛い思いをしなくて済む。
また、かかりつけ医で定期的に採血検査をするようになって、結果をいただくたびに、学生時代の定期テストと同じだな...と、思います。
日常の中で、コツコツとまじめに学び、身についていた知識や技術の結果が、定期テストという形で数値化されること。
日常生活の中で、食事や運動などの形でコツコツとまじめに気をつけてきた結果が、定期検査によって数値化されること。
それらの結果を知り、さらに日常生活の中に還元して役立てていくことは、他の誰のためでもなく、自分自身のために必要なことなのだと。

今月初めに採血した結果を、
昨日の受診時にいただきました。
2015年7月、2016年2月、そして、2016年10月。
基準値より高かった項目の数値も、
だんだん基準内に収まってきました。
”すべての数値が、基準値の範囲内に収まっている”という結果が出ると、やはりうれしいと思います。
ただ、それらの数値に一喜一憂するのではなく、その結果を受けて、ふだんの食生活や日常の運動などにこれからも配慮する目安になるものだから。
あたりまえのように、自宅で家事をして、買い物に出かけて、職場で仕事をして、お休みの日には楽しくお出かけが出来る。
そんな、あたりまえのようでいて、とても大切な日常の日々が過ごせるのは”健康”であるからなのだと、体調を崩すたびに痛感します。
信頼できるかかりつけ医のもとで、客観的な検査結果を定期的に確認しながら、自分自身の体調の変化にもきちんと向きあって、対応していくこと。
それは自分のためであることはもちろん、家族や職場に迷惑をかけないためにも大切なことなのだと、私がダウンしてしまっても温かくフォローしてくださる家族や同僚への感謝の心と共に、身に染みるのです。
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先週末の四国小旅行を終えて以来、それほど職場が忙しいわけでもないし、自宅でも無理はしていないつもりだったのに、とうとう、昨日、ダウン。
夕方、かかりつけ医院に行って受診して、処方薬をいただき、その後、寝込んでしまいました。
自分にとって正しいことが、すべての人に共通なわけじゃなく、反対に、自分にきちんと適合しているかどうかは、自分の身体とか、感覚に照らし合わせてみないとわからない。
そんな単純なことを、しみじみ痛感するようになったのは、やっぱりそういう年齢になったからなんだろう...と、思います。
昔から歯医者さんが苦手でしたが、そんな私をなだめつつ、配慮してくださりつつ、ずっと定期健診していただいている歯科医の先生とスタッフの方々のおかげで、最近では定期的な検診が苦にならなくなっています。
虫歯になってから治療のために歯科医を訪れるのではなく、予防のために定期的に歯科医院で検診を受けてクリーニングをしていただくことによって、結果として、早期発見早期治療となり、治療の痛い思いをしなくて済む。
また、かかりつけ医で定期的に採血検査をするようになって、結果をいただくたびに、学生時代の定期テストと同じだな...と、思います。
日常の中で、コツコツとまじめに学び、身についていた知識や技術の結果が、定期テストという形で数値化されること。
日常生活の中で、食事や運動などの形でコツコツとまじめに気をつけてきた結果が、定期検査によって数値化されること。
それらの結果を知り、さらに日常生活の中に還元して役立てていくことは、他の誰のためでもなく、自分自身のために必要なことなのだと。
今月初めに採血した結果を、
昨日の受診時にいただきました。
2015年7月、2016年2月、そして、2016年10月。
基準値より高かった項目の数値も、
だんだん基準内に収まってきました。
”すべての数値が、基準値の範囲内に収まっている”という結果が出ると、やはりうれしいと思います。

ただ、それらの数値に一喜一憂するのではなく、その結果を受けて、ふだんの食生活や日常の運動などにこれからも配慮する目安になるものだから。
あたりまえのように、自宅で家事をして、買い物に出かけて、職場で仕事をして、お休みの日には楽しくお出かけが出来る。
そんな、あたりまえのようでいて、とても大切な日常の日々が過ごせるのは”健康”であるからなのだと、体調を崩すたびに痛感します。
信頼できるかかりつけ医のもとで、客観的な検査結果を定期的に確認しながら、自分自身の体調の変化にもきちんと向きあって、対応していくこと。
それは自分のためであることはもちろん、家族や職場に迷惑をかけないためにも大切なことなのだと、私がダウンしてしまっても温かくフォローしてくださる家族や同僚への感謝の心と共に、身に染みるのです。
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タグ :健康管理
2016年09月29日
今、そこにあるモノを見直してみる
”今、そこにあるモノを見直してみる”

自分の手元にあるものに対して、そのモノはなんらかのご縁があって、自分のところにやってきたのだから...。
今の私には不必要なのだと判断して、断捨離して手放す前 に、
”今まで、私は、これを充分に役立てることが出来たんだろうか。”とか、
”私が未熟だから、力不足で、充分に使いこなせていないのならば、私が少しでも変われば、意識を変えれば、使いこなすことができるのかもしれない。”とか、
”もっと、そこにあるモノを有効活用できる、自分になれないんだろうか。”とか。
モノの断捨離をする前に、自分自身の固定観念の断捨離をすることによって、目の前にある同じモノが、違って見えてくることがあると、少しずつ、思えるようになりました。
周囲の環境を変える前に、まず、自分自身が変わってみる。自分の意識を変えてみる。
それだけで、同じ周囲の環境が、風景が、違って見えることがある。
”自分を変える”って、なかなか簡単にできるものではないけれど、ただひたすら、周囲の環境や人や状況が変わることを願ったり、望んだりしているよりも、まず先に取り組まなきゃいけない課題なんだろうな...と、思うのです。

自分の手元にあるものに対して、そのモノはなんらかのご縁があって、自分のところにやってきたのだから...。
今の私には不必要なのだと判断して、断捨離して手放す前 に、
”今まで、私は、これを充分に役立てることが出来たんだろうか。”とか、
”私が未熟だから、力不足で、充分に使いこなせていないのならば、私が少しでも変われば、意識を変えれば、使いこなすことができるのかもしれない。”とか、
”もっと、そこにあるモノを有効活用できる、自分になれないんだろうか。”とか。
モノの断捨離をする前に、自分自身の固定観念の断捨離をすることによって、目の前にある同じモノが、違って見えてくることがあると、少しずつ、思えるようになりました。
周囲の環境を変える前に、まず、自分自身が変わってみる。自分の意識を変えてみる。
それだけで、同じ周囲の環境が、風景が、違って見えることがある。
”自分を変える”って、なかなか簡単にできるものではないけれど、ただひたすら、周囲の環境や人や状況が変わることを願ったり、望んだりしているよりも、まず先に取り組まなきゃいけない課題なんだろうな...と、思うのです。
タグ :断捨離
2016年09月27日
”もったいない”という発想と、断捨離についての雑感
断捨離を進めるにおいて、自分の心の中での障壁になるのが、つい、「これは、いつかは必要になるかもしれないから、処分してしまうと、もったいない。」と思ってしまうこと。
それって、”もったいないという発想が、違うベクトルにむかっている。”んだと、なんとなく、気がついてきました。
目に見える、そこにあるモノの価値。
もし、そこにそれがなければ、その場所、空間を別の形で利用できる可能性に対する価値。
もし、ずっと先になっても必要としなければ、その時点で処分することになった私の未来の時間と体力の価値。
年々、目に見える”モノ”に対して、自分自身の”時間”と”体力&気力”と”健康”と”お金”と”心の充足感”という数々の形のないものと比較して、どうなんだろう...と考えるようになりつつあります。
まだ、自分の中でまとまりきっていないので、うまく、表現できないけれど...。

自分の手元にあるものに対して、そのモノはなんらかのご縁があって、自分のところにやってきたのだから...。
今の私には不必要なのだと判断して、断捨離して手放す際に、
”今まで、役立ってくれて、ありがとう。”とか、
”私が未熟だから、力不足で、充分に使いこなせなくて、ごめんなさい。”とか、
”もっと有効活用してくれるひとのところで、大切にしてもらえますように。”とか、
”リサイクルされて、また、新しいものに生まれ変わりますように。”とか、
そんな想いを込めて、手放すことによって、自分自身の周囲の環境が変化するだけでなく、自分の気持ちが軽くなるのかもしれない。
そんなことを想う、2016年の秋
です。
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それって、”もったいないという発想が、違うベクトルにむかっている。”んだと、なんとなく、気がついてきました。
目に見える、そこにあるモノの価値。
もし、そこにそれがなければ、その場所、空間を別の形で利用できる可能性に対する価値。
もし、ずっと先になっても必要としなければ、その時点で処分することになった私の未来の時間と体力の価値。
年々、目に見える”モノ”に対して、自分自身の”時間”と”体力&気力”と”健康”と”お金”と”心の充足感”という数々の形のないものと比較して、どうなんだろう...と考えるようになりつつあります。
まだ、自分の中でまとまりきっていないので、うまく、表現できないけれど...。

自分の手元にあるものに対して、そのモノはなんらかのご縁があって、自分のところにやってきたのだから...。
今の私には不必要なのだと判断して、断捨離して手放す際に、
”今まで、役立ってくれて、ありがとう。”とか、
”私が未熟だから、力不足で、充分に使いこなせなくて、ごめんなさい。”とか、
”もっと有効活用してくれるひとのところで、大切にしてもらえますように。”とか、
”リサイクルされて、また、新しいものに生まれ変わりますように。”とか、
そんな想いを込めて、手放すことによって、自分自身の周囲の環境が変化するだけでなく、自分の気持ちが軽くなるのかもしれない。
そんなことを想う、2016年の秋

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2016年09月22日
秋分の日の雑感
今週初めに敬老の日があって、今日は秋分の日。
今週は2日も祝日があるので、あいまの職場での仕事は、その分だけ忙しく...。
たとえ台風16号の影響で警報が出ていても、電車が通常通り動くのだろうかとみんなで心配しながらも、いつものように出勤していました。
それでも、そういう、”いつものように過ごせる日常の、ありがたさ”を、きちんと感じられることがうれしいと思います。
今日の朝食は、我家のバジルを使って焼いた、ミニピザ。

そして、我が家にもマッサージチェアが届いたので、予定通り、LDKの中央に設置しました。
主人の肩こりのためだけでなく、これから、読書
の秋。
私がリクライニングの状態で読書する時にも、重宝しそうです。
つい、ウトウト居眠り
しないように、気をつけなければ...。
今週は2日も祝日があるので、あいまの職場での仕事は、その分だけ忙しく...。

たとえ台風16号の影響で警報が出ていても、電車が通常通り動くのだろうかとみんなで心配しながらも、いつものように出勤していました。
それでも、そういう、”いつものように過ごせる日常の、ありがたさ”を、きちんと感じられることがうれしいと思います。

今日の朝食は、我家のバジルを使って焼いた、ミニピザ。

そして、我が家にもマッサージチェアが届いたので、予定通り、LDKの中央に設置しました。

主人の肩こりのためだけでなく、これから、読書

私がリクライニングの状態で読書する時にも、重宝しそうです。

つい、ウトウト居眠り


2016年09月21日
テーブル席からカウンター席への発想の転換 (プチ改造☆ビフォーアフター 2016.9 LD編)
義母のもとに届けたマッサージチェアが、すごく良かったので...。
実家からの帰りの車
の中で、”同じものを、我家のリビングにも置けないかな・・・”と、主人と話していました。
そして、3連休の最終日には、我家のリビングも模様替え作業。
”PCデスクとチェストの位置を入れ替え、ダイニングテーブルの置き方を変えてみる。”
それだけの作業ですが、PCデスクを動かすとなると配線替えが大変だったり、せっかくなので、家具を動かしたところをワックスがけしてもらったり、収納しているものを動かすにあたって断捨離の視点で見直してみたりしながらだったので、結局、1日仕事となりました。
意外だったのは、マッサージチェアがきっかけとなって、我家のLDKの役割の見直しが出来たこと。
4人家族にしては大きめのダイニングテーブルが、そんなに広くはないLDの中心のように置かれていたのは、子供たちが小さい頃にはそこで宿題をしたり、本を読んだりしていて、私がキッチンにいても、対面キッチンで様子を見ながら、適度な距離感でコミュニケーションをとれるように...という発想からでした。
2人が大きくなって、それぞれの部屋で勉強するようになってからも、休日などに家族みんなで食事をする時や、来客がある時にはそこでお茶を飲みながら話をする時のためにも、大きなダイニングテーブルは、あいかわらず、ずっと、我家のLDKの中心になる存在でした。
”もう、基本は2人なんだから、ふだんはキッチンのカウンター側の壁にダイニングテーブルをぴったりつけて、カウンター席のような形で使っていていいんだ。”
”子供たちが帰ってきた時や、来客がある時だけ、ダイニングテーブルの位置を変えて、日常生活においては、むしろ、少しでもゆっくりくつろげるように、リビングとしての空間が広い方がいい。”
そんな単純なことに、どうして、今まで気がつかなかったんだろう...と、思います。

” なにげない日々の過ごし方のなかに、自分が満足できる自分らしさがある、そんな生き方がいい。
夢は遠くにあるんじゃなくて、ふと気がつくと、すぐ隣に寄り添っている。”
そんなふうに思うようになって、毎日の日常生活にも、また違う見方が出来るようになってきたのかもしれません。

実家からの帰りの車

そして、3連休の最終日には、我家のリビングも模様替え作業。
”PCデスクとチェストの位置を入れ替え、ダイニングテーブルの置き方を変えてみる。”
それだけの作業ですが、PCデスクを動かすとなると配線替えが大変だったり、せっかくなので、家具を動かしたところをワックスがけしてもらったり、収納しているものを動かすにあたって断捨離の視点で見直してみたりしながらだったので、結局、1日仕事となりました。
意外だったのは、マッサージチェアがきっかけとなって、我家のLDKの役割の見直しが出来たこと。
4人家族にしては大きめのダイニングテーブルが、そんなに広くはないLDの中心のように置かれていたのは、子供たちが小さい頃にはそこで宿題をしたり、本を読んだりしていて、私がキッチンにいても、対面キッチンで様子を見ながら、適度な距離感でコミュニケーションをとれるように...という発想からでした。
2人が大きくなって、それぞれの部屋で勉強するようになってからも、休日などに家族みんなで食事をする時や、来客がある時にはそこでお茶を飲みながら話をする時のためにも、大きなダイニングテーブルは、あいかわらず、ずっと、我家のLDKの中心になる存在でした。
”もう、基本は2人なんだから、ふだんはキッチンのカウンター側の壁にダイニングテーブルをぴったりつけて、カウンター席のような形で使っていていいんだ。”
”子供たちが帰ってきた時や、来客がある時だけ、ダイニングテーブルの位置を変えて、日常生活においては、むしろ、少しでもゆっくりくつろげるように、リビングとしての空間が広い方がいい。”
そんな単純なことに、どうして、今まで気がつかなかったんだろう...と、思います。

” なにげない日々の過ごし方のなかに、自分が満足できる自分らしさがある、そんな生き方がいい。
夢は遠くにあるんじゃなくて、ふと気がつくと、すぐ隣に寄り添っている。”
そんなふうに思うようになって、毎日の日常生活にも、また違う見方が出来るようになってきたのかもしれません。
2016年09月20日
敬老の日のプレゼント 2016.9

敬老の日の、週末。
主人の実家に、
マッサージチェアが届きました。
主人の実家に、
マッサージチェアが届きました。
義母のお誕生日から母の日、そして、敬老の日まで、ずっとお待たせし続けていた、ご希望のマッサージチェア。
「旅館などであるような、本格的なものは大きすぎて、掃除の邪魔になるからダメ。」
「それでも、肩こりに効くものがいい。」
「リビングに置いても、違和感のないもの。」
「できたら、違う部屋に簡単に移動できるといいんだけれど...。」
主人と義弟が、ずっとあれこれ探していて、「いいかげん、敬老の日には決めないと、来年まで持ち越してしまう。」とのことで、ようやく決まったのでした。

週末、マッサージチェアを置く場所を作るため、リビングの模様替えに実家へ行き、翌日もまた訪れて、主人と息子が届いた荷物の梱包を開けて、組み立てました。
時間をかけて、じっくり選んでいただけあって、ほぼ義母のご希望通り。
そして、試しに座ってみた主人ですら、「確かに、効果がある。肩こりがましになって、気持ちがいい。」とのことでした。

2016年09月14日
”迷子になろうよ、一緒に”
子供たちが小さい頃は、いわゆるキャラクターものが生活の中にあっても全然気にならなかったけれど、最近では、思い出のこもったもの以外は処分して、できるだけ生活空間をシンプルなものにしていこうとしていたのですが...。
先月、買い物に出かけた先で見かけて、ずっと気になっていたトトログッズ。やっぱり、買ってしまいました。

2013年の10月、主人と共に娘を訪ねて東京へ行きました。
その時、私がとても楽しみにしていたジブリ美術館。
”迷子になろうよ、一緒に”
そんな世界観が好きで、また訪れたいと思いつつ、なかなか再訪することができなくて...。
他の人から見るとわかりにくいかもしれないけれど、生活のなにげないところに、自分らしい遊び心がちらばっている、そんなおうち空間がいい。
なにげない日々の過ごし方のなかに、自分が満足できる自分らしさがある、そんな生き方がいい。
夢は遠くにあるんじゃなくて、ふと気がつくと、すぐ隣に寄り添っている。
そんなふうに思えるだけで、笑顔になれることが、うれしいです。
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先月、買い物に出かけた先で見かけて、ずっと気になっていたトトログッズ。やっぱり、買ってしまいました。


2013年の10月、主人と共に娘を訪ねて東京へ行きました。
その時、私がとても楽しみにしていたジブリ美術館。
”迷子になろうよ、一緒に”
そんな世界観が好きで、また訪れたいと思いつつ、なかなか再訪することができなくて...。
他の人から見るとわかりにくいかもしれないけれど、生活のなにげないところに、自分らしい遊び心がちらばっている、そんなおうち空間がいい。
なにげない日々の過ごし方のなかに、自分が満足できる自分らしさがある、そんな生き方がいい。
夢は遠くにあるんじゃなくて、ふと気がつくと、すぐ隣に寄り添っている。
そんなふうに思えるだけで、笑顔になれることが、うれしいです。
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2016年09月13日
健康についての雑感 -1 (食事編 2016.9)
昨日、整形に行ってレントゲンを撮って、骨折していた足の指の骨がきれいについていることを確認していただいて、ようやく経過観察が終了。
主人に引き続き、私もまた、本当になにげない日常生活の中でケガをしても、すごく長引くものだな...と、身に染みて、自分たちの年齢をしみじみと思います。

コップにさしたバジルから、根が出てきました。
今年の6月、大学の同窓会に参加した時、そして、その時作った同期グループのLINEでの会話の中で、それぞれが何らかの不調を抱えていて、健康についての話題が出ると、不本意ながらも、「私も、あるある。」と共感し、同感し、盛り上がることについて、「これって、我々も、年寄りの証拠だね...。」と、ごく自然に自分つっこみする場面があったように。
ここでブログを始めた2009年、それまでまったく意識していなかった”食生活管理”という課題を前にして、”いろいろ魅力的なお店を訪れて、私にも自宅で取り入れることができることを学びたい”という願いもあって、ずっと記録として残してきたグルメ
記事の数々。
それまで長年、あたりまえに思ってきた私の味付け、ボリューム、メニュー作りの中に、問題点や改善すべき点がいろいろあることに気がついて、少しずつ修正を加えていくことを積み重ねてきて、最近のおうちごはんを見てみると、やはり変化がありました。
味付けがかなり薄味になって、素材本来の味を大切にするようになって、シンプルな調理が増えました。
そのため、たまに市販のレトルトやたれを使おうとすると、味が濃すぎて後で喉が渇いて仕方がなくなるので、薄めたり、量を控えたりして使わないといけないようになりました。
つい、今までのペースの量を作ってしまいがちですが、これだったら足りないかもしれないな...と思うくらいに作る量をセーブするようになりました。
3年前の春から2人世帯になったこともあって、セーブした量でも残り物が出るけれど、それをその日のうちに無理に食べきろうとせずに、翌日の私のお昼ごはん用にまわすようになって、ひとりランチの回数が減って、自然にダイエットになっているような気がします。
我家が好きなお店、何度も行きたいと思うお店から学んできた大切なキーワードは、”食べる人がしあわせを感じるメニュー作り”と”健康に配慮した、そして家族が好きな食材へのこだわり”...だと、思います。
いくら健康に配慮したメニューだと言っても、せっかくの食事を楽しめないともったいないので、好きな食材を使って、バランスを考えて、ヘルシーなメニュー作りをすることが、私の目標とするテーマになりました。
そして、なにより一番大きな変化は、”自分の身体を定期的に点検して、整える”という、基本中の基本であることに、昔よりきちんと向かいあうようになりました。
私は今までずっと続けているかかりつけ医での定期的な採血検査と受診、歯科医での定期的な検診に加えて、今回の骨折を機に、整形で骨粗鬆症検査を受けました。
主人もまた、2年前の検査入院以来、定期的な検査や検診を受けるようになっています。
”食事を楽しくおいしく作り、食べるためには、自分自身が健康でないといけない。”
”自分が健康であるからこそ、食事を楽しくおいしく食べることが出来る。”
”卵が先か、鶏が先か”という感じですが、そんなことを思う、初秋の頃です。
主人に引き続き、私もまた、本当になにげない日常生活の中でケガをしても、すごく長引くものだな...と、身に染みて、自分たちの年齢をしみじみと思います。



今年の6月、大学の同窓会に参加した時、そして、その時作った同期グループのLINEでの会話の中で、それぞれが何らかの不調を抱えていて、健康についての話題が出ると、不本意ながらも、「私も、あるある。」と共感し、同感し、盛り上がることについて、「これって、我々も、年寄りの証拠だね...。」と、ごく自然に自分つっこみする場面があったように。

ここでブログを始めた2009年、それまでまったく意識していなかった”食生活管理”という課題を前にして、”いろいろ魅力的なお店を訪れて、私にも自宅で取り入れることができることを学びたい”という願いもあって、ずっと記録として残してきたグルメ

それまで長年、あたりまえに思ってきた私の味付け、ボリューム、メニュー作りの中に、問題点や改善すべき点がいろいろあることに気がついて、少しずつ修正を加えていくことを積み重ねてきて、最近のおうちごはんを見てみると、やはり変化がありました。
味付けがかなり薄味になって、素材本来の味を大切にするようになって、シンプルな調理が増えました。
そのため、たまに市販のレトルトやたれを使おうとすると、味が濃すぎて後で喉が渇いて仕方がなくなるので、薄めたり、量を控えたりして使わないといけないようになりました。
つい、今までのペースの量を作ってしまいがちですが、これだったら足りないかもしれないな...と思うくらいに作る量をセーブするようになりました。
3年前の春から2人世帯になったこともあって、セーブした量でも残り物が出るけれど、それをその日のうちに無理に食べきろうとせずに、翌日の私のお昼ごはん用にまわすようになって、ひとりランチの回数が減って、自然にダイエットになっているような気がします。
我家が好きなお店、何度も行きたいと思うお店から学んできた大切なキーワードは、”食べる人がしあわせを感じるメニュー作り”と”健康に配慮した、そして家族が好きな食材へのこだわり”...だと、思います。
いくら健康に配慮したメニューだと言っても、せっかくの食事を楽しめないともったいないので、好きな食材を使って、バランスを考えて、ヘルシーなメニュー作りをすることが、私の目標とするテーマになりました。
そして、なにより一番大きな変化は、”自分の身体を定期的に点検して、整える”という、基本中の基本であることに、昔よりきちんと向かいあうようになりました。
私は今までずっと続けているかかりつけ医での定期的な採血検査と受診、歯科医での定期的な検診に加えて、今回の骨折を機に、整形で骨粗鬆症検査を受けました。
主人もまた、2年前の検査入院以来、定期的な検査や検診を受けるようになっています。
”食事を楽しくおいしく作り、食べるためには、自分自身が健康でないといけない。”
”自分が健康であるからこそ、食事を楽しくおいしく食べることが出来る。”
”卵が先か、鶏が先か”という感じですが、そんなことを思う、初秋の頃です。
タグ :健康管理
2016年09月12日
高野山への道
昨年2月、義母をお誘いして出かけた香川への小旅行で、義母が”四国八十八ヵ所の納経帳を持っているけれど、遍路を始めてすぐにいろいろあって、全然進んでいない。”ということで、いただいておられた総本山 善通寺の朱印。
その善通寺は、弘法大師御誕生所とのことでした。
その後、同年3月に高知へ出かけた際に泊まったホテルでも、88ヵ所霊場巡りについての展示を拝見し...。
今年7月に四国へ出かけた際にも、泊まったホテルの近くにあった石手寺へ。
今までずっと、義母のために立ち寄っていると思っていたのだけれど...。
次に、四国を訪れる時のために義母の納経帳をお預かりして、スケジュール組みでいろいろ調べているうちに、”そういえば、私は幼い頃、よく高野山へお参りしていたのだ”と、思いだしていました。
だからこそ、私には”お大師さまの御跡を慕い同行する、遍路”などという、苦行としての巡礼の旅はできないかもしれないけれど。
”自分の心の変革をもとめる修行としての遍路”として、私のできるペースで、祈りを込めた巡礼の旅はできるかもしれない...と思うようになりました。

同行2人とは、”遍路修行をしているとき、常にお大師さま(弘法大師)と共にいるということ”とのこと。
この秋から、私も、”私のお遍路”をスタートします。
その善通寺は、弘法大師御誕生所とのことでした。
その後、同年3月に高知へ出かけた際に泊まったホテルでも、88ヵ所霊場巡りについての展示を拝見し...。
今年7月に四国へ出かけた際にも、泊まったホテルの近くにあった石手寺へ。
今までずっと、義母のために立ち寄っていると思っていたのだけれど...。
次に、四国を訪れる時のために義母の納経帳をお預かりして、スケジュール組みでいろいろ調べているうちに、”そういえば、私は幼い頃、よく高野山へお参りしていたのだ”と、思いだしていました。
だからこそ、私には”お大師さまの御跡を慕い同行する、遍路”などという、苦行としての巡礼の旅はできないかもしれないけれど。
”自分の心の変革をもとめる修行としての遍路”として、私のできるペースで、祈りを込めた巡礼の旅はできるかもしれない...と思うようになりました。

先日購入して届いた私の納経帳は、義母のものよりコンパクトで、気に入っています。

同行2人とは、”遍路修行をしているとき、常にお大師さま(弘法大師)と共にいるということ”とのこと。
この秋から、私も、”私のお遍路”をスタートします。
2016年09月08日
自分のルーティンを守ること
午前4時半、目覚ましのアラームが鳴った時には、まだ雨は降っていなかったけれど、雷
が鳴り始めていました。
午前5時を過ぎた頃から、雷雨です。
パソコンの天気情報画面で雨雲レーダーを見ながら、「いつもの電車より少し遅らせる時間まで待てば、雨雲が抜けて、雨があがるか、弱くなるよ。」と主人に伝えても、いつもどおりに出かけていきました。
”電車を1本遅らせても遅刻しない、かなり余裕を持った時間なのだから、私だったら雨雲が抜けるまで待ってるだろうな...。”と、思いつつ、そういうなにげないところに”自分らしさ”とか、”自分のこだわり”とかが出ているのだろうと思います。
そういう私にも、いわゆるルーティンがあって、”仕事に出かける日もお休みの日も、この時間までにこれをしないと、自分が落ち着かない”ということは確かにあって、
雨上がりの朝、”今日は水やりしなくていいので、うれしい。”と思いながらも、それでも花壇の様子を見に行くように。

今日も、一日、私らしく、がんばってゆきましょう。

午前5時を過ぎた頃から、雷雨です。
パソコンの天気情報画面で雨雲レーダーを見ながら、「いつもの電車より少し遅らせる時間まで待てば、雨雲が抜けて、雨があがるか、弱くなるよ。」と主人に伝えても、いつもどおりに出かけていきました。
”電車を1本遅らせても遅刻しない、かなり余裕を持った時間なのだから、私だったら雨雲が抜けるまで待ってるだろうな...。”と、思いつつ、そういうなにげないところに”自分らしさ”とか、”自分のこだわり”とかが出ているのだろうと思います。
そういう私にも、いわゆるルーティンがあって、”仕事に出かける日もお休みの日も、この時間までにこれをしないと、自分が落ち着かない”ということは確かにあって、
雨上がりの朝、”今日は水やりしなくていいので、うれしい。”と思いながらも、それでも花壇の様子を見に行くように。


今日も、一日、私らしく、がんばってゆきましょう。
2016年09月06日
なりたい自分になる
今月に入って以来ずっと、市川海老蔵さんの奥様である小林麻央さんがはじめられたブログの事がテレビ番組
の中で話題になっています。
市川海老蔵さんの歌舞伎を観に行ったことがある私ですので、魅かれるものを感じてブログ記事を拝見していると、その視点に心打たれることや教えられることが、たくさんあります。
「なりたい自分になる。」
”理想の自分”よりもっと身近で、けっして今いる自分を否定することなく、ありのままの自分の姿を受け入れたまま、自然体でむかえる方向にちょっとだけ勇気を出して一歩でも半歩でも踏み出してみようかな...という、ふんわりとやさしく、でも着実な歩みへの決意。
そこには、そんな印象を受ける言葉の数々が綴られていました。
そんな生き方を見習いたいと、思います。

主人が始めたガーデニングの水耕栽培。
収穫したてのレタスが食卓にのぼるだけでなく、今回バジルも2株育っているので、お料理に使わない分は室内に飾ることが出来ます。
香りも楽しめる観賞用グリーン
としても、水耕栽培するもののいろいろな可能性が広がります。
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市川海老蔵さんの歌舞伎を観に行ったことがある私ですので、魅かれるものを感じてブログ記事を拝見していると、その視点に心打たれることや教えられることが、たくさんあります。
「なりたい自分になる。」
”理想の自分”よりもっと身近で、けっして今いる自分を否定することなく、ありのままの自分の姿を受け入れたまま、自然体でむかえる方向にちょっとだけ勇気を出して一歩でも半歩でも踏み出してみようかな...という、ふんわりとやさしく、でも着実な歩みへの決意。
そこには、そんな印象を受ける言葉の数々が綴られていました。
そんな生き方を見習いたいと、思います。

主人が始めたガーデニングの水耕栽培。
収穫したてのレタスが食卓にのぼるだけでなく、今回バジルも2株育っているので、お料理に使わない分は室内に飾ることが出来ます。
香りも楽しめる観賞用グリーン


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2016年08月31日
明日から、9月。

今日は、8月31日。明日から、9月です。
少しずつ、暑さがやわらいで、
昨日は、自宅ではまったくエアコンをつけずに
過ごすことが出来ました。
少しずつ、暑さがやわらいで、
昨日は、自宅ではまったくエアコンをつけずに
過ごすことが出来ました。
花壇の植木の伸びすぎた枝がずっと気になっていたけれど、あまりの暑さにガーデニングに向かうことが出来なかったところも、涼しかった昨日の朝、ようやく剪定して、すっきり。
”猛暑日に無理をするより、少し我慢して、状況が変われば、すぐに対応できるようにしておくことが、大切なんだろうな。”..とか。
週末、みとろ果樹園で巨峰を、ビッグママでいちじくをたくさん購入してきたので、ゼリーやコンポートや、ジャムを作ったり、マフィンにしたり、あれこれ加工していたら、ちょっとアレンジするだけで、ゼリーが固まらなかったり、マフィンが膨らまなかったりして、がっかりしたのだけれど。
”なぜ、こうなったのか、理由がわかれば、次はきっとうまくいくはず。失敗から学ぶこともあるよね。”...とか。

今年の夏は、いろいろあって、あまりお出かけできなかった分、自宅でのんびりしてあれこれ考え事をする時間がありました。
オリンピックを観ながら、ぼんやり考えていたことの中には、まだ、自分なりにまとまっていないこともあるけれど...。
たとえば、イソップ寓話の”金の斧”。
きこりが水辺で落としたのは鉄の斧なのだけれど、”金の斧”でも”銀の斧”でもなく、正直に本当の自分の斧を取り戻すことだけを考えていたおかげで、最後には”金の斧”、”銀の斧”、”(本当に自分が持っていた)鉄の斧”のすべてを手に入れることが出来たというお話。
スポーツが得意じゃない私にとっては、オリンピックに出場することが出来るというだけでも、すごいことだと尊敬せずにはいられませんが...。

その日をめざして、4年間の間、一生懸命努力を積み重ねてこられた選手のみなさんは、やはり、金メダルを目指してきたので、銀メダルをとっても悔し涙を流される場面があったり、「手ぶらで帰るわけにはいかない。」と銅メダルを胸にうれし涙を流される場面があったり。
応援しながらテレビを観ている私が感動するのは、”金メダル””銀メダル””銅メダル”という結果なのではなくて、たぶん、そこに至るまでにあるそれぞれの選手の努力の軌跡と、その結果手にされたメダルへのご本人の想いなのだろうな...と、いうようなこと。
全然、レベルは違うけれど、私が職場で行う日々の仕事にも、カラオケ同好会での採点結果にも、いろんなことに通じるものがあるような気がします。
逆に、自分が落とした鉄の斧ではなく、金の斧を自分のものだと偽って手に入れようとした結果、自分の鉄の斧すらも失ってしまったきこりの話にも、大切なことを教えられると、しみじみ思います。
”身の程を知る”ということは、けっして自分を卑下することなのではなく、冷静に現実の自分をイメージすることができるということで、そこから、自分を向上させるための第一歩が踏み出せるということなのだろう...と、思うのです。
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